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Sakura tree

おじさんが一人で経営する小さな居酒屋で働いているため出勤は夕方からで、帰宅するのは日を越してからだ。
まったくもって健全である大衆的な居酒屋なのだが、女装姿の怜を雇ってくれている珍しい店だ。
店主はもちろん、客側もそれを受け入れていて、今では看板娘の様な存在になっている。

深夜に帰宅すると、珍しくリビングの明かりがついていて、覗いてみるとソファーで王子が眠っていた。

王子の部屋は、二階の空いていた部屋のはずなのに。
そう思っていると、物音で帰ってきた事に気付いたのか、のんちゃんが二階から下りてきた。

「怜ちゃんを待ってるんだって、途中まで頑張ってたんだけどな」

毛布にくるまり寝てしまっている王子の足元に座り、のんちゃんを見上げる。

「帰ってくるのは夜中だって言わなかったの?」
「それでも怜ちゃんと話したい事があったんだと。多分……謝りたかったんじゃないか?」
「え?何で?何を?」

謝られる覚えは無い。

「俺が王子の言葉を使って怜で遊んだからだろ。自分のせいで怜に迷惑かけたって思ったんじゃないか?」
「そんなの、のんちゃんが悪いのに……」

じとっと見つめると頭を小突かれた。

「だからその事は俺が悪いって謝ったんだよ。それでも待ってるって言うからさ」
「そうかぁ……」

小学校を卒業したばかりの子供なのに、そこまで気を使わなくてもと思うが、王子の場合、これまでの環境がそうさせたのだろう。

「でものんちゃんだって、もしかしたらそれで王子が喜ぶかもしれないって思ったんでしょ?なら、もういいじゃない」

素直にそう言って笑うと、あごを掴んで上向かされた。

「可愛い弟だな」

甘く広がる微笑は、仕事でも見れない顔だった。

「むぅ……。弟ってのはちょっと……」

不満を垂れると、あごを掴んでいた手がくしゃっと前髪をかき混ぜた。
普段は散々面白がって意地悪な事を企んで遊ぶくせに、こういう優しい面に触れるとやっぱり好きだな、と思う。


王子がやって来た日にはそんな出来事があったが、それは王子が中学に入学して間もなく起こった。


仕事から帰ってきてご飯を食べたりお風呂に入ったりしている内に、何だかんだで寝るのは空が白み始める頃になる。
完全に昼夜逆転の生活だが、この日はまだ眠って三、四時間ほどのところで駆け込んできた母に叩き起こされる羽目になった。

「大変!怜ちゃん!」

階段をかけ上がり、ドアを乱暴に開け放った末のトドメの大声には最早起床するしかない。

「んもー、なぁにぃ」

むくっと起きて、邪魔な髪をかきあげる。

「遂に来たわよ、この時が!王子ちゃんが体操着を忘れちゃったのー!」
「何、その待ってました感」

顔にはキラキラとした期待と歓喜の笑みが溢れている。

「王子ちゃんは遠い小学校に通ってたでしょう?だから知ってる子なんて居ないし、複雑な家庭の事情だってあるじゃなーい?中学に入って早々いじめられたら大変でしょ?」
「うん、だから体操着を持っていけばい……」
「違うの怜ちゃん!!」

言い終える前にすごい剣幕で力強く拳を握るママ。

「え、何……?」
「私達は有りの儘の怜ちゃんが好きよ?誰も否定はしてないの。でも今は王子ちゃんにとって大事な時期なの!……わかるわね?」

語尾にハートマークでも飛んでそうな甘えた言い方でありながら、有無を言わせぬこの威圧感はさすがと言うべきか。

……つまり、アレだ。

「……はい。男らしく、ね」
「そーなのー!偉いわ怜ちゃん!素敵よ怜ちゃん!助け合いの精神よ怜ちゃん!」

そんなに讚美されずとも、いきなり女装姿で行こうとは思わない。
今たまたま家庭や仕事場で受け入れられているだけで、これが誰にでも通じると思うのは図々しいのではないかと思う。


クローゼットを眺めてみて、なるべく男っぽく見えそうなものを選んだ。
といっても女装歴が長くなってくるにつれてそういった服の割合も減ってきている。
あくまで、その中でもそれっぽく見えそうな……という不安なセレクトに過ぎない。

細身のブラックデニム。
体の線が出るような服でもデザインがそれっぽければ誤魔化せるだろうと、シンプルに白いシャツを。
そして高校時代に女の子の友人に絶対似合うといって誕生日に貰ったチョーカー。
黒い革ひもに揺れるゴシック調の大きめのクロスには、黒い石が光っている。
ゴツゴツしたリングも同じく高校時代に貰った物で、女の子達いわく、怜ちゃんが女の子っぽいから、ギャップ!という事らしい。
アクセサリー効果で少しでも男らしく仕上がった事を祈り、髪を低めの位置で一つに縛る。

顔はもちろんすっぴんだ。

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