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短篇

「ヘレン」

真剣な面持ちで目の前に立った領主様が、そっとヘレンの手をすくう。
ほがらかで楽しげな笑みと雰囲気が消えると、甘い容貌の美しさが際立つ。 力強い眼差しとは裏腹に、接触は慎重であたたかだ。

「それなら君は、ただのヘレンとしてここに居られないのかな?」

つい見惚れてしまって、何を言われたか聞き逃すところだった。
けれども、反芻してもその意味が理解できない。
今度は意図を探ろうと不躾にじっと見つめてしまう。

軽く触れるだけだった手が、ヘレンの手を包む。
すると気付いたように羞恥が襲って、頬がみるみる熱くなる。
彼の罠に誘われると夢見心地で、理性が働かなくなる。
甘美な魔法。

その時だ。
騒がしい声がヘレンに理性を取り戻させ、怒声が現実へ引きずり下ろした。
怒鳴り込んできた男性を使用人達が止めているようだが、それは確実に近付いてきている。
張り詰める空気に畏怖し、体が強張る。
ここに居てはならないヘレンは身を隠すべきだという後ろめたさも相まって、反射的に領主様の背に隠れた。
同時に領主様の方も背にかばってくれて、大変心強い。

静止するのも聞かずドアが乱暴に開かれ、壮年の紳士の怒声が室内に響く。

「貴様は俺の顔に泥を塗る気か、馬鹿者が!」

乱暴な物音に続いて、ヘレンはびくびくと肩を揺らして怯えた。
領主様は静かに息をもらすと、ヘレンをかえりみて苦笑した。
そして咄嗟にしがみついていたヘレンの手をそっと撫でる。
その優しさは心強く、ヘレンに安堵を与えた。

怒れる紳士に向き直った領主様の横顔は引き締まり、纏う空気はぴりぴりと痛いほど厳しくなった。

「叔父上。来客中ですよ」

それは冷たく、突き放すような声色だった。
静かにいさめるようではあるが、ふつふつとわき出る怒りが滲み、出ていけと牽制していた。

「何が客だ!俺が口をきいてやった令嬢そっちのけで、農民なんぞ!」

汚らわしいと語る鋭い視線にすくみ上がり、侮辱に胸を切り裂かれる。
そりゃあヘレンはここに居るべきではない存在だが、こう面と向かって強烈な批判をされてはこたえないわけがない。
領主様の背を掴んでいた手に力がこもったことで、ヘレンは自分が小刻みに震えていることを認識した。

「やっと妻を選ぶ気になったかと思えば、なめたマネを!まさかソレを娶るとは言うまいな!?」
「彼女はソレではありません。ヘレンです」

激高する紳士に対して領主様はあくまで冷静な態度を崩さなかった。
その態度が癪に障ったらしく、怒りがおさまる気配はない。

「“領主様”はどこまでも俺を愚弄するつもりのようだな」
「叔父上。僕はあなたを一度も愚弄しようと思ったことはありません」
「これが愚弄でないなら何だというのだ!俺の顔を潰すだけでなく、わざわざそんな女を使うとは!農民で、しかも赤毛ときた!考えたものだ!」

ヘレンの呼吸が震え、視界が熱く滲む。

「そうではありません。叔父上、聞いてください」

領主様でも思い通りにならないことがあるのだと感じたが、それが結婚のことだったのだろう。
結婚から逃れるためにヘレンを利用した。
少なくとも彼の叔父はそう思っている。
そしてその考えは、ヘレンにも納得できるものだった。

「呆れた奴め!領主家直系の男子にとって結婚は義務だ!逃れようと考えるなど愚かなことだ!」
「ですから叔父上」

叔父から結婚を急かされて困った領主様は、花嫁さがしのパーティーを開くことを承知したものの、逃れるための目眩ましに正式に招待したご令嬢方を利用するのを躊躇ったのだろう。
農民のヘレンならば問題にならずに済む。
むしろ領主様のお役に立てるならば光栄だと、貴重な経験をさせてもらってありがたいと感謝すべきだ。
ヘレンもそう思っていたのに、いつの間にか魔法に酔って忘れていた。

初めからヘレンは道具だったのだ。
他にヘレンが領主様に声をかけてもらえる理由は無い。
わかっていたはず。
立場をわきまえていたはずなのに、落胆している。

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