短篇
7
ドレスを着て現れたヘレンを見て驚いた表情をしたのは一瞬で、その後はぱっと笑みを咲かせた。
「綺麗だよ。とっても似合ってる。ほら、やっぱり君に着てもらうべきだ!」
ヘレンは何も答えられず、ただ頬を染めるしかなかった。
「おいで。庭が見える部屋に行こう」
当たり前のように差し出された手。
震えそうになる指で、ちょこんと触れる。
エスコートされるのもいちいち緊張する。
けれど、その部屋に入って飛び込んできた光景に息を呑んだヘレンは、緊張を忘れて笑みを溢れさせた。
広い窓から色々の花と緑溢れる庭がのぞめる。
そこに立つ彫刻は美しく白色に輝いて、その華やかな世界の住人のように見えた。
「楽園みたい……」
感動でもれた言葉に彼が微笑む。
「それなら君は楽園に実る果実だ」
禁断の果実。
楽園に実る、善悪の知識の実。
「アダムは幸運だ。禁断の果実を食べたって、愛する人は失わなかったんだから」
口調は変わらないが、どこかその表情が僅かに愁いを帯びるのをヘレンは見た。
恵まれ満たされた楽園のようなところに居ても、叶わないものがあるのだろう。
そう思わせる姿があった。
けれどそれはすぐに楽しげな微笑みで隠されてしまった。
「さぁ、僕達も食べよう。これは善悪の知識の実だ」
テーブルにはりんごを使ったパイやタルト。
焼き菓子にはたっぷりとジャムが添えられている。
領主様が言うようにヘレンがもしも果実ならば、彼はイヴを誘惑する蛇だ。
言葉たくみに人をそそのかし、果実はぼんやりしている内に食べられる。
領主様を慕う両親やカフェのおばさんは、光栄なことと言ってヘレンの背を押す。
だがしかし。
きっといずれヘレンもまた、大きな犠牲を払う時が来る。
楽園の果実で居られるのはほんの僅かだ。
夢から覚めたら、ヘレンは現実へと戻る。
りんごの思い出と共に。
「どうしたの?」
お菓子を食べてお茶を飲んでいたヘレンだが、いつしか考え事をしてぼんやりと庭を眺めていた。
「すみません。夢みたいだと思って。自分がここにこうして居ることが信じられません」
だってヘレンはりんごでもなければ、妖精でも昔語りのお姫様でもない。
ただの農民だ。
けれど領主様はヘレンを甘くそそのかす。
「君は禁断の果実だよ。だからこの楽園に在るべきだと思わない?」
思わない。
ヘレンには自分がこの世界に相応しい人間だと思えなかった。
表情がくもり顔をそむけたのを見てその意を察した領主様は、それじゃあこうしよう。と、不思議な提案をした。
「君の正体を探ってみよう」
ヘレンは意味がわからず、きょとんとして首をかしげた。
「君は妖精でも、果実でもないと言う。それなら何なのかな?りんごの花?」
領主様はヘレンをどうしてもりんごと結びつける。
それは嬉しいのだけれど、悲しいことに、現実ではなかった。
「私はただのヘレンです、領主様。りんごの木の下で働く農民です。ですからここに居るべきではありません」
もしもこの幻想が現実であったら。
そう、うっかり夢見てしまう。
しかしどんなにそれらしく着飾っても、所詮ヘレンはヘレンでしかない。
少しでも特別な気分に酔って、浮き足立っていた自分が恥ずかしくなる。
「でも、感謝しています。普通に生活していたら一生できない経験をさせてもらいましたから。身に余る光栄です」
ヘレンは立ち上がって深く感謝の意を述べた。
すると。
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