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短篇

静寂に蝋燭が揺らぐ。

怒る事も無ければ何かを口にする事も無く、どうしたのだろうと伺いたくなる。
何か御用ですか?と聞きたくとも口が利けないのがもどかしく、仕方無くまた顔を上げる羽目になる。

刹那、目を見開く。

一瞬とはいえ真面に見詰め合って仕舞って、狼狽するのも誤魔化しきれない。
顔を反らしてから、二度もうつむくと気に障るかもしれないと思い目を見るものの、男が何を考えてそうするのかがわからずおろおろと焦る一方。
男は、逃げやしないかと心中を探る様にじっと顔を見ていたのだ。

(ああ、どうしよう……。怒るかも……殴られたらどうしよう…っ)

震えそうな恐怖に耐え身を堅くする。
ふっ、と笑う息が鼻から漏れる。
判決が下る。

「歌ってみろ」

頭が真っ白になる。
思考が止まる。
まじまじと、何と言われたのか今一度乞う様に見る。

(歌う?そんな……)

みっともなくおどおど怯えるのを笑いながら黙って見ていたのは、最初からそれを言いつけて困らせようとしていたからだと今になり合点が行く。
何て酷い。底意地の悪い。

「どうした。歌ってみせろ」

出来ないとわかっているじゃあないですか。
そう訴える事も出来ないと知りながら、男は平然と言いつける。
酷い。酷い。
悔しい。

悲しくて、悔しくて、じわりと熱くなった視界は滲む。
我慢せねば。
泣いてはいけない。
意地でも。

負けじと目を見て首を振り出来ないと訴える。
意地悪く歪んだ冷酷な笑みは失せて、面白くなさげに膝の上で指が動く。
射る様な視線にすくみ上がり、三度目の「やれ」を突き付けられたらもう後は無いと知る。

足の上で合わせていた手をぎゅうと握り、口をそっと開く。
帯の下の腹に力を入れ喉を意識する。

男はこうして出ない声を出そうと奮闘する様を見るのが好きなのだ。
こんな私は、何れ程無様に映るのだろう。

「は…っ」

不便で困る事もあるけれど、旦那様はこんな私も丸々受け入れて下さった。
声が無くとも、それも私の魅力なのだと。
なのに。

「はぁあ…っ、は」

一体、こんな私に何を歌えと?
声なんて言えるものはろくに出やしない。
息が漏れるだけ。
悲しみが悔しさを飲み込んで、支える強さは息を潜めていく。

(……出来ない)

幾ら懸命に口を動かしても、音が出なければ息だけではどうしようもない音がある。
破裂音なら唇や舌でわかりやすく表せるけれど、それ以外は本当にただ空気が漏れる程のかすかな音にしかならない。
苦しくて息が上がる。

何故こんな事をさせるの。
お前は声が出せないんだ、って言い聞かせる様に。
何度も何度も。
もう十分わかっているのに。何度も言い聞かせなくたって。

「出来な…っ」

泣き落としのつもりは無いのに、悲しくて涙が出てくる。
酷い。
こんな……。

殴られるかもしれないとわかっていながら、ゆるゆると首を振り許しを乞う。
かぁっと頭にきた男は勢いよく立ち上がり、咄嗟に身をすくめたその肩を突飛ばす。
床板にごろんと転がったところに飛んできかねない拳に恐怖して混乱しながらも着物の裾を掴む。
それが怒りを買おうとこっちも必死だ。

「や、め…!」

お願い、お願い、と目をきつく閉じて強張ったまま着物を握り締める。
這いつくばってぶるぶる震えて涙を溢す有り様に余程呆れたのか、拳も飛んでこなければ怒声も無い。
それにはたと気が付き濡れたままにそろりと目を開く。
視線をつ、と動かした先に、膝を折って身を低くした男が在った。

さも嬉しそうに笑う。
主人に従順な犬を可愛がる様に、男は悦んで髪を撫でる。
私はまだ転がったまま声も無くぼろぼろと涙を溢していた。
それでも男は怒る事無く、むしろ悦んで撫でた。

「お前は俺のものだ」

逃げない様に何度も、目を見て言い聞かせ洗脳する。
返事をさせるまで、心を折り屈伏させるまでそうやって黙って目を見て……。

濡れてぐしゃぐしゃの顔で頷く。
滲んだ顔は一向に動かず、頭がぼんやりとしたまま、頷いたのに何故だろうと不思議に思う。

(ああ……着物を)

着物の裾を掴んだままだった。
旦那様の着物がしわになって仕舞う。
きつく結んだ指を放し撫でて広げている私の頭を、男はまだ撫でていた。

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あきゅろす。
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