短篇 9 “時をみて”と言った通り、彼はお茶を終える頃に現れてリリィを中空の籠に戻した。 そして、消える間際。 「リリィ。屋敷を用意する。どのようなものがいいか考えておくといい」 動揺して思わず咄嗟に頷いてしまったが、彼が消えてからもリリィは目を丸くしていた。 エメルはどうせならお城って言ってやりましょうよ!と声を弾ませるが、リリィには城はもう必要のないものだった。 あれは一族に引き継がれた一族のもで、だからそこの娘であるリリィも住んでいる家。という認識に過ぎない。 血脈や身分。それに伴う富や権威の象徴であり、誇りだという認識はリリィには無かった。 なので、この世界から出られないリリィにはもう意味の無いものだ。 豪華な屋敷でなくたって、住めるならば構わないと思っている。 そんなリリィだけれども、希望がひとつだけあった。 ここでそれが叶うかわからないけれども。 それはお気に入りの場所だったから、もし、実現できるのならば。 広い空の見える、あのあずまやを。 あそこは、リリィが一人になれる憩いの場だったのだ。 生きているとわかったら、新たに疑問が生まれた。 食べないで生きていられたのも不思議だが、食べたらお手洗いに行きたくなるはずではないか。 そこで初めて、そういえばこれまで行きたくならなかったな。と、リリィは気付いた。 死んでいると思っていたからそれが普通だと思っていたのに。 それにずっとお風呂にも入っていないし着替えてもいないのに、ちっとも汚れたり臭ってきたりしない。 リリィの肌は白く輝いたままで、髪はいつまでもふわふわなままだ。 そうなると、逆に寝ていることが不自然に思えてくる。 彼が作り出した現世とは異なるこの空間では、どんな不思議なことが起こるかわからない。 もしかしたら飲んだと思ったお茶は錯覚だった、ということもあり得ないことではない。 完全に閉ざされた空間とはいえ、そもそもこの空間を作り出したのは彼なのだ。 そして何か不思議な力が働いているということは、彼が懸念したリリィを衰弱させる悪い影響も及ぶのではないか。 「ねぇ、エメル。おうちのことで相談なんだけど」 エメルは、お姫様のご希望通りに。と、答えた。 「やっぱり、住まいを用意してくださるのはこの世界の中なのよね?」 「それはそうでしょうが……。あっ、景色ですか?そうですよねぇ。ここだと窓からの景色はずーっと真っ暗闇ですもんねぇ」 「それも、そうなんだけど……」 一度死が自らに訪れたものとして受け入れたとはいえ、これから徐々に死に向かっていくかもしれないとわかれば当然恐怖心が襲う。 自分を認めて、褒めてくれる相手が居る。 それだけが存在する世界はとても居心地がよかった。 それが成長への逃避であり、甘えだとわかっていても。 本来在るべき世界で生きるのが筋だとしても。 その代償がじわじわと蝕まれていくことならば、彼はどうするだろう。と、 リリィは考えた。 邪悪なものを断ち、安全に生かそうとしてくれた彼は。 より強い信頼を築き、理解を得られたならば、彼の支配下でなくとも共に生きることができるかもしれない。 この世界のように、彼が他の誰とも会わず彼だけのものであることを要求するならそれでもいい。 彼の世界の外でも、彼だけのもので彼のそばに居る。それを信じてもらえるようになればいいのだ。 そうすればリリィは死なず、居心地がいい場所で過ごすこともできる。 「もしや、お姫様……」 リリィの顔色を窺っていたエメルは、声を潜めて呟いた。 リリィは顔を上げ、これを聞いているであろう彼へ向けて話した。 「私は逃げません。お約束します。ですから、精霊さんの力が及ぶこの世界から出られないでしょうか?」 すると。 「世界が無いことが不満か」 「精霊さん。そうではありません。ただ、やはり体に何か影響があるのではないかと」 彼は表情を変えずにリリィを見下ろすだけだったが、エメルは心配して膝元へ寄った。 「どこか悪いところがおありで!?アノ男と会っても、ある程度は問題ないのではなかったのですか?まさか、やはり、お気をつかわれて無理をなされていたとか…!?」 「エメル、違うの」 「とにかく、外には出さない」 「精霊さん…っ」 彼は一言言い捨てて消えてしまった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |