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短篇
15
聖堂で民への祈りを終えたエーファ姫は、祭壇を下りる前に一旦足を止めた。
引きずるほど長いドレスの裾に気をつけねばならなかったからだ。
姫がちょこっとドレスを摘まむよりも先に、すっと目の前に手が差しのべられた。
その反応の早さに驚いたが、姫はゆっくりと瞬きをしただけで、はた目には涼しげな表情のままその親切に甘えた。
時間にしてほんの数拍の接触に、エーファ姫は心満たされていた。


巫女であるエーファ姫付きの近衛騎士に任ぜられるのは大変栄誉あることだ。
その中でもアルトリオはエーファ姫に付く騎士達をまとめる責任ある立場にある。
近衛騎士隊の次期隊長はアルトリオだ。などと冗談にのぼるのも、まったくそうなり得ない人物を挙げて皮肉るものとは違った。
ムーティ隊長が実の息子のように目をかけているアルトリオを贔屓している、という嫌みでもない。
ヴァント家が築いてきた功績という強力な後ろ楯が存在し、彼自身が得た信頼とそれに見合った評価がある限り、贔屓だなどというつまらない冗談は醜い妬心から生じた不様な負け惜しみにしか聞こえない。
彼が相応の評価を、それこそ誰の妨げも受けず正当に受けるのならば、アルトリオの若さで本当にそうなってしまうだろう。という称賛だった。
だが本人は軽い冗談としてしか受け取っておらず、一度も現実的にそうなることを想像したことはなかった。
なのにそれを考えたのは、万が一そんな冗談みたいな事態が起これば、つまりそれはエーファ姫の騎士を離れることだと気付いたからだ。
その冗談みたいな万が一の想像は、アルトリオに喪失感と恐怖をもたらした。
例えどんな栄誉ある任を受けたとしても、今の場所を離れる時は虚しく思うだろう。
それだけエーファ姫の部屋の前に立つ意味は大きい。
それが責任感や誇りなのか。思い上がりや自惚れなのか。
その気持ちの正体を掴めない内に日は巡り、塔へのぼる時がやって来る。

今度は熱を出していないので、アルトリオが手を差し出し支える必要はない。
目を合わせることもなければ、言葉を交わすなんてことも当然あり得ない。
これまでの三年間ずっとそうしてきたのだから、それで当たり前だった。
なのに何か物足りないような、どこか素っ気ないように感じてしまうのは、やはり思い上がってしまっていたのかと失望する。
姫の人間味を感じて一方的に親しみを覚え、少し顔を見て言葉をかけてもらえただけでそれが当然かのように自惚れて。
情けない。

塔へのぼり、聖堂へ向かう。
そんな日を繰り返し、アルトリオは目が覚めた。
すべては一時的に起きた混乱の中で生じた、偶発的な職務上の些細な接点だったのだ、と。
初めて目が合って、姫の感情を目の当たりにして、その手に触れられたのも。
可憐な微笑みを目にできて、直接言葉を交わせたことも。
すべては過ぎ去り、もう終わったのだ。
この結論に落胆するほど思い上がっていた自分には失望だが、アルトリオは、重苦しく胸を塞ぐ落胆が長引くこの異変の正体にやがて気付いた。
そしてこれ以上ここに居るわけにはいかないと決意したアルトリオは、その日の報告の後、ムーティ隊長にエーファ姫付きの騎士を解任してほしいと願い出た。

「アルトリオ!何があった?」

隊長は聞くなり慌てて立ち上がった。

「いえ、ただ、自分はこの任にはもう相応しくないと……」
「そんなわけあるか!」

ムーティ隊長はアルトリオの腕を叩き、辞めるべきではないと説得した。
だが、撤回しない。
報告によれば二人の仲に何ら進展は見られず、それはすなわち関係が損なわれるほどの問題が起きる余地も無いということだったのに。
何故急にこんな展開になるのか隊長は理解できなかった。
そこで隊長が考えられたのは、アルトリオがエーファ姫の気持ちに気付き、それに応えられないと判断したのでは?という可能性だった。

「わかった。それなら、お前が直接姫様へご報告しなさい」

エーファ姫の気持ちを受け入れる気が無いというなら、せめて自分の口で任を離れることを報告させようと思ったのだ。
姫には可哀想だが、恐らくその時に恋破れたと知ることになるだろう。
このムーティ隊長の考えを、アルトリオは突如無責任に辞めさせてくれと言い出したけじめをつけさせるために命じたのだと誤解した。

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あきゅろす。
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