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短篇

泳げぬ者が溺れて足掻くように、手足をばたつかせて飛び上がり、天井を抜けて表へ出ると、精霊は四角い石の街の上空を飛んで逃げていった。
すると精霊を映す聖なる鏡はくすんで白く曇り、最早誰をも映さなくなった。
それは、御神体の前で血を流したから精霊様がお怒りになったのだと一族に不安を与えた。
しかし、ちょっと怪我をして血が出た程度ではない。
当主が銃殺されたのだ。
怒りで済めばいいが、精霊様の守護が失われる事もあり得る。

一族の衰退。
口にはせずとも、それぞれの頭の中にはその可能性が浮かんでいた。


恐怖から逃れるように必死に飛んだ少女精霊は、落ち着いてくると、中空を漂いながら当主の姿を思い出していた。

何て悲しい事かしら。
彼はもうこの世には居ない。
立派な人だったのに。

この後どうするかなどは一族の人間が決める事なので、精霊は死の悲しみより先を考えもしなかった。
家へ居れば家族を見守り平安を祈るが、もう随分離れてしまったので、今は帰る事すらちらとも浮かばなかった。
しばらく風にとけたまま漂っていくと、精霊は家の事も、あれほど恐れ悲しんだ事件の事もすっかり忘れてしまった。
そして見知らぬ街へ遊びに来たのだという気分になり、街を眺めて飛んだ。
どうせなら人間の振りをして楽しんでみようと、精霊はくっきりと姿をあらわして地面へ降り立った。
人間には見えないので、あくまで自分一人だけのお遊びだ。


水路にそって歩き、小さな橋へ差し掛かった時だ。
何気無く見遣った先に立つ男と目が合ったのだ。
あり得ないと知りつつも、思わず硬直してしまう。
だが見つめられたまま、一歩二歩と近付いてくる。

見えるの……?
精霊はそう問い掛けたが、思いを念じるだけになってしまい、人間らしく口を動かして言葉にするのを忘れていた。

周りに人間は居ないし、真っ直ぐそばまで来られると本当に人間になったような気分になった。
彼にはきっと、特別に自分が人間と同じように見えてるのだ、と。

「こんにちは。何してるの?」

そうして話し掛けられると、美しい青年の甘い声色に胸が跳ねた。
顔を覗き込むとさらりと揺れる髪は青みがかっていて、鴉羽の様な深い色をしていた。
じっと見つめる目も光の具合か時々紫にも見えて、鴉羽色の様な深みがある。
声は耳の奥胸の奥まで、低く甘く響いてくる。

誰かにこんなに熱く見つめられながら話し掛けられた事は無いし、だからこんな種類のどきどきをした事もない。
声も出せずにうつむいて、体は強張り、ぎゅっと胸元で指を握る。

「ねぇ。何か言わないと、わからないよ?」

それは責めるような、意地悪な響きだった。
なのに甘さに捕らわれて、ちらりと窺ってしまう。
思ったより顔が近くにあって、胸の苦しさに耐えられず反射的に後退りした。
が、彼は楽しそうに笑みを浮かべたままじりじりと迫る。

少女精霊は何か答えようと顔を上げ、その小さな口を開いたが、何を言えばいいかわからなくてまた噤んでしまった。
くすっと笑う気配を感じる間も無く手がのびて、白く滑らかな頬に青年の指先が触れる。
精霊はびくっと怯えて強張るが、構わず頬をするりと撫でた。

何処かキザで、少し意地悪な話し方も、女の子の扱いに慣れた雰囲気も、十分にそれだけで近付いちゃいけない人だと理性か本能か知れない何処かが警告する。
けれどそれでも、彼に見つめられていたいと思ってしまう。
そんな感情への動揺が、羞恥で追い詰められた涙腺を刺激する。
慣れてないとはいえこれだけで泣いてしまうなんてみっともなくて、せめて涙が溢れないようにぐっと堪える。

「おいで。泣き顔じゃなくて、君の笑顔も見たい」

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