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短篇
10
目尻からこめかみを伝う涙が熱い。
こんなに体が重いのも、話すことすら大変なのも、生きているからなのか。

「フルールさん。あなたは間違いなく助かった。命をとりとめたんです。腕力が弱いのが幸いして、傷が浅く済んだんですよ。ですが、何故か意識が戻らなかった。この三ヶ月、あなたは眠り続けていたんですよ」
「フルール……」

ルシアンの顔には、不安と心配が浮かんでいる。

「本当、なら……。幻じゃ、ないなら……あなたが、ここに、居るわけない。だって、あなたは…っ」

息が詰まって、言葉が出ない。
涙が溢れて流れていくのに、それを拭う力もない。

「ちがう……。違う…!フルール、見てごらん。ほら」

彼は左手の甲を見せて、ね?と続けた。

「僕は結婚してない。言ったろう?僕の花嫁は君以外居ない」
「でも……だって……」

大きな両手が顔を挟みこみ、涙を拭いながら、甘やかな声で優しく語る。

「僕は君を失えない。君が僕を失うと生きてはいけない様に。君が奪われてしまうなら、世界はとてもむなしく、苦痛に満ちたものになる。そんな世界で重荷に耐えて生きてくなんてできない。君は僕の幸福のすべてだ」

宝物に傷がないか確かめる様に慎重に、優しく丁寧に、肌に触れる。
シミひとつ逃さないというように、額から頬、あごへ指をすべらせながらじっくり眺める。
そうすると顔が間近にあるのに視線は合わない。

「君が旅立ってしまうなら僕もついていく覚悟はある。だから僕はすぐに、その時のために身辺の整理を始めようとした」

フルールがはっと息を呑んでも、ルシアンは何でもないことの様にふっと微笑むだけだ。

「馬鹿なことはやめろと、色んな人に言われた。君一人のために捨てるには、僕の立場は大きすぎると。でも、僕にはそんなこと関係ない。君一人が居なければ、それらはすべて苦行でしかなくなるのだから」
「ルシアン……」

勝手な行動を謝って、もう忘れて幸せになってと言いさえすれば、ルシアンは前に進めると思っていた。
けれど、違う。
彼の愛の深さを、今更になって気付くなんて。
微笑みがつらそうな色に滲むのを見て、すすり泣く自分に気がつく。
絶望せず、彼を信じて待つことができなかった。
心の弱さ。
ちゅっと額に触れたキスは、慰めだ。
赦しだとまでは思わない。

「両親を含めた何人かは、これは君と一緒になるための脅しで、僕が本当に何もかもを放り出す気はないとふんでいたけれどね。だけど、役目を放棄していつまでも君のもとに通い詰めるのを見て諦めかけてる」
「いいの……?」

疑ったのではない。
すべてを捨てても選んでくれたということは。

「当然。フルール、僕と結婚してほしい」
「ふぇ…っ、ルシアン……」

ぐすぐすと泣いてしまうと、ルシアンはふっと吹き出して涙を拭う。

「フルール?返事は?してくれないの?」

その声には笑みが含まれていて、答えなどお見通しなのだと察せられる。
けれど彼任せにしてはいけない。

「はい、もちろん。あなたを愛してるの…っ」
「僕も。愛してる。愛してるよ、フルール」

唇を食むように、やわらかく。
愛を囁きながら、何度も触れる。
角度を変えじょじょに深くなると、息苦しくなって逃げを打つ。

「ふふっ。相変わらず臆病だね、君のキスは」

ヘタと言わないところが彼の優しさだ。
そしてこんな時はやはり羞恥で何も言えなくなる。
そんな様子を見たルシアンは、かわいい。と独り言ちる。

「まだまだ話していたいけど、あまり無理はさせられないね。君は目を覚ましたばかりなんだから」

そういえば、いつのまにかお医者様の姿が消えていた。
気をきかせてそっと退出してくれたのだろう。

「僕はここに居るから、安心して休んでいいよ」
「帰る時に、起こしてね?」
「わかった。おやすみ、フルール」

目を瞑ると、すっと睡魔にとらわれる。
また戻れなくなったらとか、幻だったらと不安になるが、額に落ちたキスが勇気をくれる。

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あきゅろす。
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