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短篇

深く沈んだ意識が再浮上すると、自然とまぶたが震えた。
目を開けても暗い朝が待つばかりで、まばゆい日光など射さない。

「はぁ……」

目覚めたらルシアンは居ない。
会いたいと願ってくれるなら起きている昼間の内に来てほしいのに、彼はいつも眠っている時に来る。
それでも、肉体と解離した意識が彼を捉える。

「お花……」

やはり、いつのまにか花瓶のガーベラは消えていた。
今日はどんな花がいいだろう。
考えれば、庭の花壇が用意してくれる。
強引に楽しみを見つけないと、ルシアンを喪失した悲しみに引っ張られる。
昼に太陽が現れないのは、そこに理由があるのかもしれない。
ルシアンと会えない時間なんて、太陽を失った世界と同じなのだから。
月が必ず出るのもそう。
ルシアンが来るなら、あんなに分厚く空を覆った雲も消え去ってしまう。

フルールの現世への未練は、ルシアンへの想いに尽きる。
それがフルールを生者と死者の狭間の世界に呼び込んだ。
迷いなく、ここがとどまるべき家だと思うほどに。
ルシアンの甘やかな声と優しい手を思い出してしまうと、胸がざわめく。
すべてを置いて先へ行けないなら、現世へと戻れはしないか。
果ての見えない深い森を前に、はじめから脱出を諦めていたけれど、飢えて死ぬこともないのだ。
チャレンジしてみても損はない。
そう決めたら、薄いワンピース一枚でだってすぐにでも出て行けるのだ。

「ふふっ」

わくわくして、何も持たずに走り出す。
ルシアンに会えるかもしれない。
何故今まで帰る努力をしなかったのだろう?
何故、帰れると思わなかったのだろう?

「私……。私は、うちに帰るっ」

闇がうごめく城に宣言する。

『黙りなさいよ!いつもは黙って私達のあとをただついてくるだけのくせに!』
『こんな時だけ抵抗するの!?生意気なのよ!』
『“彼が私を選んでくれた”なんて、よくもそんなこと言えるわね!図々しい…!身の程知らずッ!』

臆病で逃げを打つフルールを大きな愛で包み、信じさせてくれたのはルシアンだ。
フルールを失えないと訴え、守ると言ってくれた人だ。

『僕の幸福のすべては、君にあることを忘れないでくれ。フルール。君はいつでも僕が君を手放してしまえると勘違いしているだろう。僕は君を決して失えない。それを信じてくれれば、誰に何て言われても平気だと思えるはずだ。違うかい?』

いいえ。その通り。
自信がなくて受け入れてしまった罵倒は、同時にルシアンをも傷付けていたと知った。

『あの子が彼に何か吹き込んでるのよ。じゃなきゃ、彼が私達をあんな目でにらむと思う?』
『そうよね。だって、一度も彼が声を荒らげたのを聞いたことないのよ?あの子の影響以外考えられない』
『ケンカくらいよくあることじゃない。ねぇ?突き飛ばしたらたまたまあの子が転んでケガしただけよ。運が悪いだけなのに、どうして私達だけが責められるの?』

この城から離れれば、闇の声も聞こえなくなるはず。

『君は僕の幸福のすべてだ。君が幸福を恐れないよう、僕が君を守る』

ルシアンを裏切れない。
ここにとどまれば、彼を不幸にし続ける。
彼の幸福を奪ったままではいけない。
今度は、私が彼の幸福を守るのだ。
その一心で森に分け入り、道なき道を進む。
振り返っても足跡はなく、振り仰いでも城の影も見えない。
光を目指して進むほど、薄暗い森の闇はより濃くなる気がする。
でも、もう進むしかない。
うねる木の根が波の様に地を這って、足をとられそうになる。

どれほど経ったか。
疲労を感じないはずなのに、意識がぼんやりとしはじめて、夜の到来を感じる。
木々の隙間からかろうじて覗ける空は、変わらず暗い色をしている。
焦りが足を前に動かす。

「あ……」

同じような景色が続いていた中で、初めての変化を発見し、思わず声が漏れた。
小川だ。
しかしそれは、分厚い岩盤の表面を爪で引っ掻く様な頼り無さ。
日が照ったら消えてしまいそうな小川が、木々の間に走る溝を流れている。

あの川の先へ。
視線を上げた瞬間、背筋にゾッと恐怖が走った。
太い木の影から、人がこちらを見ていたのだ。

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