短篇
5
指の間にするりと長い指が差し込まれ、さらりと撫でられて、きゅっとそのまま握りこまれてしまった。
恐怖と羞恥で声も出ない。
身動きがとれず、お願いはなしてと目で訴えるしかできない。
微笑みのかたちをつくる唇が楽しそうに開き、そこから覗く舌が自身の唇をなぞる。
腹を空かせた肉食獣の様なそれは、何もできないこちらの呼吸さえ奪うようだ。
「はぁ……」
悩ましげな嘆息。
その甘やかな吐息が、心臓を走らせる。
名残惜しげにゆっくりとなぞりながら、熱い体温が離れていった。
熱くなった顔を押さえることもできないまま、彼の微笑みに釘付けになる。
こわいのに、滲んだ涙は羞恥からだった。
「ね。こういう経験は、したことあるの?」
「どうして、そんな……」
関係ないと、プライベートに入り込まないでと拒絶することはできる。
だけどとぼけることも、はぐらかすのも、今の自分には難しかった。
「手くらい誰かと繋いだ?」
心臓が落ち着かなくて、言葉にならない。
はくはくと金魚みたいに口を開けて、目を泳がせる。
エリスにふふっと笑われて、目の前がくらくらするほど熱くなる。
「そんなにむずかしい質問?」
揶揄。
意地悪な色が声に現れて、少しだけ悲しくなる。
もっと甘く、包み込むような声が聞きたい。
そうするには、きっと、答えれば……。
よくできたねって褒めてもらえるかもしれない。
「中学の時から、好きだった人と……。諦めてたけど、偶然、高校が一緒で。いいなって思って見てたら、告白してくれたの。それで」
「手を繋いだ?他は?それ以上はした?」
ぶんぶん首を振る。
本当?と問い詰められたが、嘘じゃない。
「私は、つまらないって。おもしろくないんだって。芸能の仕事をしてたから、声をかけただけ。俺のこと見てただろ?って、それだけだって。女には見れないんだって」
「その男こそ、なんてつまらないやつなんだ。見る目がない」
それから?と聞かれて、首をかしげる。
「他には誰かと付き合った?」
何でそんなこと聞くの?と言えなかった。
言われるまま。誘われるままふらふらついていく。
「大学で……」
一人?と聞かれて、頷く。
「その彼に、みこをあげたの?」
沈黙を、彼は正しく肯定だと解釈した。
「彼は、みこを大切にしてくれた?」
口を開いたけれど、ひきつって声が出ない。
穏やかさが戻りつつあったと感じた声に、途端に刺々しさが現れた。
「ひどかったの?」
「ひ…っ、ひどく、……わからない…っ」
苛立ちの嘆息に追い詰められ、焦る。
「や、優しい、人だと、思ってた。でも、違うんだって、みんなが……。依存してるって、言ってた。でも、わからなくて。私は、ただ、いい人だと、思ったけど……みんな、彼は、よくない人って言った」
「どうして?暴力をふるわれたの?お金?」
「ううん。精神的な、暴力だって。言葉で、追い詰めてるって。でも、私は、わからなかったの。私は、わからなかった……」
最終的に母にもよくないんじゃない?と言われて、決意した。
自分じゃわからないだろうけど、あなたは今とてもつらそうに見える。そう言われたから。
「それから?」
首を振る。
「付き合った人は居ないんだ」
そう。付き合った人“は”居ない。
沈黙から、怒りが伝わる。
もっと声を聞きたいと思って話したのに、機嫌を損ねてしまったようだ。
「天使の様な君に、男達は甘えたくなるのかな。かわいそうに。みこ。君はたくさんの人達を幸せにしてあげたのに、君自身は誰が幸せにしてくれるんだろう」
「考えたことなかった……」
「考えたことがない?」
エリスは驚いて、繰り返してたずねた。
「自分の幸せを?まさか。何故?」
そんなに驚くことだろうか。
逆にこちらの方が戸惑ってしまう。
「誰かが幸せにしてくれると、考えたことがなかった。私は、いつも……自分で何とかすることばかり考えて……。幸せにしてもらうって発想が……」
どうしてだろう。
男性に期待してこなかった。
「そう、か……」
指摘されたことて初めて考えてみて、答えまで誘導された。
エリスはじっとその答えに耳を傾けている。
「お父さんが居なかったから、かも……。小学生くらいまでは居たけど、急に帰ってこなくなって、それきり。どうしたの?って聞いても教えてくれなかった。聞いちゃいけない空気を感じて、その内聞かなくなったけど。出て行っちゃったのかな……?」
「男の人には守ってもらうものだっていう原体験が欠けてるんだ」
腑に落ちる。
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