短篇
4
「今も……」
今も事務所は守ってくれている。
どうして、彼はわかるのだろう。
それは、彼が言葉通り本当に『遥谷みこ』について調べてきたからだ。
「仕事を辞められた時、私は、これでやっと逃げられるって、ホッとしたの。だけど同時に、手放しても構わないと思われる程度の価値だったんだなって……。私って、何だったんだろう?って……」
「自信をなくすことはない。誇りに思っていい。みこはすばらしい役者だった、ね?」
「ありがとう。……ありがとう」
成功して認められている人は、実力だけじゃなくて人間としても素晴らしいのだと見せつけられた。
「聞くけど……。やっぱり、男はこわいかな」
ぎくりと、体が強張る。
それを察して、エリスは短く嘆息をもらす。
「残念。残念だよ。本当に悲しい。それにとっても心が痛む。みこ。君を抱き締めてあげられたらいいのに」
「どうして、そ……」
どうしてそんなこと言うの?と、反射的に口にしかけてつぐむ。
間抜けな問いだ。
そんなのに深い意味はない。
そこまで自惚れるのはさすがに愚かだ。
彼はただ、純粋に“事件”を悲しんでるだけ。
「僕は?どう?こわい?」
「こわくない」
ふるふると首を振って、訴える。
「すごく、ファンなの。大好きなの。憧れで……。私はもう辞めちゃったけど、でも、今も、憧れで。大好きな役者さんなの。大好き。すごく。好き」
語る内に頬が紅潮していく。
「嬉しいよ。よかった。握手は?どう?できる?してくれる?触るのはムリかな。むずかしい?」
正直、わからない。
わからないけど、試してみたい。
彼なら。彼とだから。
彼に、触れてみたい。
「僕からは手を動かさないから。それならどう?してみない?握り返すのもしない。ただ手をそっと合わせて、触る。それでおしまい。いい?」
リハビリだ。
恐る恐る手を出すと、彼も慎重にそっと体を動かして、おどかさないように配慮して動いてくれる。
ひとまずテーブルの上に手を置いて、息を吐く。
拳を握って自分の指に触れると、指先が冷えてきていた。
武器を持ってないとアピールするように、エリスは手のひらを上に向けて待つ。
もうひとつ大きく息を吐いて、そっと震える指先をのばした。
熱いほどの体温が手に触れる。
震えながら手を合わせると、大きさが違うから簡単に包まれてしまう。
ぎゅっと握られたらこわいけれど、彼は約束通りそれ以上自ら動かしたりしなかった。
「手が冷たい。こわかった?平気だろう?何もしなかったでしょ?僕はみこを傷つけたりしないよ。絶対」
手が離れてから、ほっと息を吐く。
「はい。だいじょうぶ。あなたがこわいんじゃないの。あなたをこわがってるんじゃない」
こわいのは“あの人”だ。
エリスじゃない。
「それなら、もう一回。もう一度みこに触りたい。今度はもっと長く」
迷ったのは、彼の声が甘く、視線が熱く、動揺を誘うからだ。
首を振ると、エリスは小さく密やかに笑った。
握手に応えられない理由が恐怖ではなく、羞恥だと見抜いているからだろう。
更に恥ずかしくなって、もうできないと重ねて首を振る。
「できるよ。みこ。ねぇ、みこ。次はちゃんと手を握らせて?僕から君に触れる。いいだろう?」
さっきより一段高いハードルを提示され、試練の色が強くなったことで羞恥が抑えられた。
「がんばる……」
「よし」
笑顔に勇気づけられて、再び手をのばし、彼へ差し出す。
熱い体温が触れ、手を包む。
無意識に、はぁっと息を吸い込んで身構えた。
「平気。こわいことはしない」
そっと囁かれる甘い声。
大きな手に包まれて、きゅっと軽く握られ、自分の指がまだかすかに震えていることを自覚する。
すると、逃げたくなって思わず手の力を抜いてしまった。
けれどエリスは決して強引にせず、ゆったりとした動きで、しかし絡めとるように指先を握りこむ。
だが次第に恐怖は増して、強張る体でなんとか逃げようと試みる。
「エリス…っ」
逃げたいと目でも訴えるが、彼の視線は指に注がれていて、あえて無視するようにこちらを見てくれない。
こわくしないって言ったのにっ。
無理にしないって言ったのに!と泣きそうになって、ひくんと呼吸が乱れる。
すると。
[*前へ][次へ#]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!