短篇
10
嫌でも角が立たないようにするべきだと考えるのは日本人だからだろうか?
無難に愛想よく答えるのが日本人で、それが人との円滑なコミュニケーションでもあるというなら、椿はそのどちらも失格だった。
冷えた心のまま、言葉さえ失って。
椿は人形に徹した。
誰に失望されてもいい。
侮られ、蔑視されても。罵倒されたって。
その場しのぎに大切な恋人を売るようなことはしたくない。
自分だけは。彼の恋人である自分だからこそ、彼を貶める道に容易く乗ってはいけない。
誰の機嫌がそこなわれ、悔しがってへそを曲げ、誰がどんな感情をぶつけてきても。
その決意、信念は揺らがない。
彼が椿を理解しようと試みて、辛抱強く耳を傾け、優しく受け入れて包んでくれたように。
それほど大きなものを与えてくれた彼を裏切った時、椿はいよいよ人でなくなる気がする。
心無い人形になりさがるのだ。
字を書くだけのからくり人形に。
椿は意地を張って、張り通した。
その顛末をノートに書こうかと思ったが、書けなかった。
わざわざ知らせて彼を不快な気持ちにさせることもない。
かわりに。
帰りを待っていられなくて、ジュリオのベッドに勝手にもぐりこんで眠った。
ちゅっと。
音を立てて触れる唇。
それは額に。頬に。
そこから身体中に浸透する愛情が心地よくて、ふっと笑みが溢れてしまう。
それを与えてくれるのは他に居ない。
彼だけ。
「さみしかったの?」
重いまぶたを開くなり抱きつくと、笑みを含んだ声が降る。
肯定に照れは無い。
ついでに涙までじわりと浮かんできて、ひくんとしゃくりあげてしまって泣くのを隠しきれなかった。
それは悲しみから来るものだったから。
「大丈夫?」
泣くほど?と笑うでもなく。
もう大丈夫だとなだめて受け止めるのでもない。
彼は、心配している。
何かあったのだと察しているのかもしれない。
「ジュリオ…っ」
「ん?」
それでも、言わない。
「愛しくて。愛しくて……。愛しすぎると、泣けるんですね」
好きだから言わない。
ジュリオもただキスをするだけで、それ以上は何も言わなかった。
あえて聞かないでくれたのだろう。
「そんなつもりじゃなかったって言うだろうから言わないでおこうかと思ったけど……。僕を誘惑するために、僕のベッドで待ち伏せしてくれたの?」
まともな恋愛経験がなければキスの経験もなかった椿は、触れるより濃いキスをされるとまいってしまう。
息の仕方さえ忘れ、教えてもらったってその通りにうまくできない。
だからキスが長くなるほど息があがり、落ち着かせるまで何もできない。
それは染み込む愛情にうっとりと酔い、頭がぼんやりとして何も考えられなくなるのと相まって、尚更。
無防備にくったりと横たわったまま、ジュリオの言葉を聞いても反応が鈍くなる。
遅れて理解した椿はみるみる赤くなり、ジュリオの言う通り、そんなつもりじゃなかったと首を振った。
「それじゃあ今日はおあずけ?」
たわむれに、面白がって聞くのだとわかるけれど、それにどう答えたらいいのかを知らない。
だから純粋にその質問に答えるしか思いつかないが、そうだとも違うとも言えず、椿は困って眉をきゅっと寄せる。
「ジュリオ……」
降参して助けを求める様子を見ると、ジュリオはふふっと小さく笑う。
「ツバキには難しい質問だった?」
素直にこくりと頷くと、それでいいよと微笑んで、軽くキスを落とした。
あまりに無知だとしらけると思うのだが、ジュリオは椿が彼の世界について何も知らないことを面白がり、喜んでくれている。
そしてそれは恋愛についても同じことが言えた。
何度も確かめるように、ジュリオは椿の無知を引き出しては満足げに笑う。
椿なりに、それは男性の支配欲の表れだと理解した。
自分だけが所有するという満足感。
真っ白な雪原に初めて踏み込む快感と高陽感。
自尊心を満たすのと同時に、それが愛情表現であるともわかるから、身勝手ないじわるだと反発することができない。
少しくらい痛みが伴っても、彼の愛情ならば甘んじて受けたかった。
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