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短篇

道具が盗まれてしまったのはショックなことだが、書道教室にも置いていたのは救いだった。
予定通りに教室を再開することができる。

定期的に仕入れる墨や紙と一緒に新たな道具を注文し、それが届いた頃。
この教室のことを生徒達が友人や仕事場の同僚などに宣伝して、一度体験してみないかと勧誘した“成果”がやって来た。
現在、教室には日本文化に興味があるフランス人の女性が三人通ってくれている。
人を連れてきてほしいと頼んだわけでもないのに突然彼女達から宣伝したと聞かされて驚きだったが、書道を体験するまでいかずとも、緑茶を飲み、飾ってある作品を見てもらえるだけでも大歓迎だった。
一度きりの経験になっても、その瞬間は楽しんで過ごしてもらいたい。

はじめに話してくれた時もそうだったが、同僚が来る。友人が来る。と言う生徒達は嬉しそうにはしゃいでさえ見える。
何故急に?とその変化に戸惑うが、彼女達と友人の様に親しくなれた気がして嬉しかった。
日本人形と揶揄されたように、椿は口下手で愛想もよくないからどれほど伝わったかわからないが、精一杯の気持ちを込めてお礼を告げたつもりだ。

見学者が訪れるとまず招待した生徒と楽しげに話し、次に紹介されて椿と挨拶をかわす。
同僚だというふくよかな女性は、きらきらと明るい笑顔を浮かべていた。
よろしく。という椿の言葉に、見学者の声が重なる。

「あなたがウワサの先生ね!?会いたかったわー!」

そんなに日本文化が、もしくは書道が好きなのかと感激にふくらみかけた気持ちが、針で刺された風船の様にぱちんと弾け飛ぶ。

「ねぇ、来て!彼女よ!ジュールのフィアンセ!」

名前も聞く前から、続けてやって来て生徒と話していた他の見学者を手招きで呼びながら叫んだ。
それほど興奮しているのだというのは、彼女の目の前に立っているのでよくわかる。
輝く笑顔も、頬が紅潮していくのも、ぴょんぴょん跳ねてきゃあきゃあ喜びを弾けさせるのも。みんな。
みんな日本文化に対してでも、書道に対してでも、まして椿に対して向けられるのでもない。
椿を通り越した向こう。
背後に透けて見えるその人の影。
彼女達がジュールと呼んだ、ジュリオ・ファリエールその人だ。

「細いのねー!ジュールってモデル体型の金髪美女が好みだったけど……」
「ジュールから何もらった?デートは?どこに行った?」

無遠慮に注がれる視線は明らかに値踏みするもので、生徒達に意味ありげに顔を向ける。

「控えめで物静かな人なのよ、先生は。私達みたいな俗っぽいのとは違うんだから」
「そうそ。それにあまりファッションについて知らないから 、彼も仕事のことを忘れられて心休まるんじゃない?」

これがジュリオの言った“普通”の反応というものか。
圧倒されて何も言えずに、椿は彼女達のやりとりを見守るしかなかった。

「だけど私達もまだ聞かせてもらってないから知りたーい。ねっ?」

生徒の一人の提案に、他の生徒も賛同する。
そして見学者が。
芝居を見ているようだった。

椿が教室とは関係ない余計な話題は口にしないから。
彼女達にとって最も興味深いジュリオについて、さりげなく自慢のひとつでも話したりしないから。
きっかけをつくって聞き出そうとしたのだろう。
でも見学者の無遠慮な関心からかばってフォローしてくれたし、ジュリオの様に互いの何もかもを知って仲良くなろうということなのかもしれない。
失敗を繰り返してはいけない。
彼女達のありがたい好意に応えよう。
そう思えたのは、心が凍りつくまで。

「私達に感謝してよー?」
「そうそう。あなた達だけ、特別に会わせてあげるんだから。幸運よ」
「ここに通ったらいずれ本人にも会えるんじゃない?私達は何度か会ってるけど、ね?」

“普通”なら、知り合った時点で周囲に言い触らして……。
スターになれる。貴重なアイテム。

ジュリオがどうして、何でもないことみたいに笑って話せたのかわからない。
自尊心のため。ジュリオへの繋ぎのために使われるだけの椿でもこんなに冷ややかに鋭く切り裂かれるのに。
椿には想像もできないスケールのものを背負い、信じられないような華やかな世界で生きるジュリオはどれほどの思いをしてきたのだろう。

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