短篇
6
乱れた髪を撫でて整え、頬をすべる優しいぬくもり。
それは「椿」と呼ぶ愛しい声の持ち主だ。
目を覚まし、ぼんやりとその人の顔を見上げる。
「ただいま」
おかえりなさいより、衝動的に両手を広げハグを求めた。
「さみしかった?」
笑みを含んだ言葉は面白がっているような、からかっているような調子だが、しっかりと包んでくれる腕は優しい。
考える前に頷いていた。
キスのあと、ジュリオが顔を近付けたまま話す。
「ちゃんと夕食をつくって食べたんだね。よくできた。それで、あのサンドイッチは僕の分?」
褒められてだらしなく笑みをこぼす。
「そうなの」
ありがとう。と、ちゅっと軽くキスをして、寝転がっていた椿の上体を起こすと、またぎゅっとハグをする。
「助かるよ。今日は仕事中に軽く食べただけだったから。帰ってきて君が居ることがこんなに幸せなのかって思ったけど、これ以上まだご褒美があるなんて」
「よかった」
喜んでもらえて、椿も嬉しさを滲ませた。
「椿はやっぱり仕事が好きなんだね」
サンドイッチを食べながら、落書きのメモを手にジュリオが微笑む。
「そう?」
これが仕事だと、もしくはそこに繋がると意識したつもりはないが、字について考えてしまっていたらもうそれは仕事になっているのだろう。
「僕の名前もある」
嬉しそうに笑って、椿と目を合わせる。
「日本語に変換して遊んでたの」
フランス語の綴りの下のカタカナを指して言うと、ジュリオは目を輝かせた。
「ホント!?以前日本に行った時、ガイドに僕の名前の漢字を教えてって言ったんだ。そしたらそのガイドが『安易に答えられない』ってさ」
ひとつの音に対して、日本語は沢山当てることができる。
アルファベットのようにひとつひとつが音を表す表音文字ではなく、日本語はひとつひとつが意味を持つ表意文字なのだ。
親は子供に名付ける時、祈りや希望を込めて名前を考える。
最近は音の響きからそこに当てはまる漢字を選ぶことが多くなっているらしいが、それでも漢字の持つ意味を考えて選ぶだろう。
「外国人の観光客によくリクエストされるそうだ。その度に自分が勝手に意味を選んで字を当てはめていいのかってもやもやしてたらしい。だからそのガイドは電子辞書を持ってたよ。漢字の意味を説明して、気に入ったものを選んでもらうんだってさ」
「それで、ジュリオはどの漢字を選んだんですか?」
彼が選んだものと椿が考えたものの違いを見たいと思って椿は訪ねた。
「オーソドックスはカタカナだって言うから、僕は漢字は選ばなかったよ。これだね?椿が書いた僕の名前だ」
「そう。……でも、あのね?私、勝手に漢字も選んで考えちゃったの。私が思うあなたのイメージで」
気に入らなかったらごめんなさい。と謝ると、ジュリオは嬉しいよ!と喜んでくれた。
候補の漢字からひとつひとつ、どんな意味があるの?と聞いて、そこからどう決めたのかを聞いた。
『樹理緒』
安心して頼れる優しさ、包容力。
樹木の樹はそれにぴったりのイメージだ。
利益の利や村里の里よりも、ことわり。筋道を意味する理を選んだ。
そして緒。
これは糸や繋がりといった意味を持っていた気がする。
少し曖昧だったので調べたら、やはり糸口。繋がりの意味があった。
「このみっつを組み合わせたら……大樹の様なあなたが道を繋ぐ。私にとって、あなたはそういう存在です。広い世界へと道を繋いで、私を導いてくれる」
素敵だ。
そう言って、ジュリオはキスをした。
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