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短篇

「彼女は最初僕を知らなくて、お花屋さんなの?って言ったんだ!」というのが笑い話になるくらい、ジュリオ・ファリエールは世界的に有名な人だ。
椿は赤くなることしかできなかったが、後から合流した妹さんはそれを興味深いという意味でおもしろがり、お母様は嬉しそうに話すジュリオに「ツバキがかわいくてしかたないって顔してる」と惚気を指摘して笑った。

彼がどんな人かを知っても、椿は自ら恋人だと明かして自慢することはしない。
もともとがファッションにうとく、ジュリオと付き合うことになったのも彼の富や名声に惹かれたのではないし、それによって自尊心や虚栄心が満たされるわけではないからだ。
椿はこれまでずっと書道という仕事が唯一の存在意義であったので、恋人ができてからもそれが重要な価値基準となっている。
であるからこそ、その神聖な仕事に彼の名前を利用することもあり得ない。
ゴシップで書かれることはあっても、必要なければ友人にでさえ自らすすんで話すことはない。

初めて恋らしい恋をして恋人ができたって、感情に溺れ、人生のすべてがそれ一色になったりしない。
仕事と恋愛は別の価値があると理解し、同一線で比較すべきでなく、どちらも大切で譲れないものだという認識はジュリオと共通のものだ。
今のところ椿には「仕事と私、どっちが大事なの!?」と恋人に迫る心配は無さそうだ。

自分の考えを持ち、確かなスタイルがある椿は、何かに依存せずとも生きていける。
強い欲心がない椿は、贅沢をしなくても満足いく仕事ができる程度に生活ができればそれで十分幸せなのだ。
だからジュリオに高価なプレゼントを贈られるなどお金をかけられると自分には過分だと戸惑い、恐れ多いと申し訳なくなるほどで、自らねだることはしない。

彼に言わせれば、椿は聖職者だそうだ。
従順・貞潔・清貧を誓うかのような生活を送り、仕事にのぞむ時には雑音を廃し、俗世から切り離された場所に身を置く。
そんな椿を尊敬し、清心に惹かれたジュリオは、椿にできないことで自分にできることがあれば何でもしてあげたいと言う。
貢ぐという方法で一度失敗しているのでほどほどにするよう心掛けているのだが、生まれ育ちの違いから絶対的な差、ズレが生じるのはしかたないことだ。
今はそれが新鮮でおもしろがってくれているが、亀裂になった時を考えると椿は恐ろしくなる。
依存こそしなくとも、大事な人であることにちがいないのだから。

強い表現や意思表示をせず、人を気遣い尊重する強い自制心を持つ日本人。
それは自分が無い人間、弱々しいという印象を与える。
椿もそう見られがちだが、実は強固で明確な意思を持っているし、譲れないプライドやこだわりもある。
そして時にはそれをハッキリと主張だってする。
清楚で控えめでいて、凛とした芯の強さがある女性だ。

ジュリオが椿を評する言葉は、椿からすると過剰な粉飾でしかない。
しかしジュリオは家族にもそのまま伝えて紹介していたので、本当にその通りの素敵な女性だと言われた椿は恐縮だった。
が、謙虚で慎み深いことに加えた椿の自己評価の低さをジュリオは正しく見抜いている。
自分に厳しく、向上心のある尊敬できる人だとも。

家族からお似合いのパートナーだと認められ安心したのは椿で、ジュリオは当然と大きく構えていたので余裕だった。
「これで君は僕のフィアンセだね」と、いつもの優しい口調と笑顔でジュリオは言った。
あまりにさりげなかったので最初は冗談だと思って聞き流しかけたが、ふと。今のは結婚の約束だろうか?と願望まじりに考えた。
真意を確かめようと深い緑と茶色の虹彩を見つめると、美を生み出す手が愛しげな仕草で頬を撫でる。
今の言葉が冗談だって、彼の愛情がそれくらい大きくて揺らがない真実だと感じられたからそれでいいと思えた。

初めての交際で未知の経験をしている椿は、童話の王子様とお姫様のように“いつまでも幸せに暮らしました”という夢見がちな少女趣味のロマンスに憧れている。
だから彼とずっと一緒に生きていきたいという想いが現実的には“結婚”に繋がるなんて思わなかった。
でも、それを意識して考えても、彼と一緒に居たいと思う。
彼とならそうなってもいい。
簡単にそう思うことこそが夢見がちなのだと言われても、椿にとってジュリオは得難い理解者で、たった一人の愛する人だから。

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あきゅろす。
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