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短篇

何かが動く気配で、深い眠りがかすかに揺らぐ。
話し声がしたけれど、脳が理解する前にまた深い眠りに沈んだ。

目が覚めて一番に思ったのは、布団の外に出た左腕が寒いという事だ。
昨日と違っていたのは指先が少し動かせる点で、小さな回復を知る。
顔を動かして、腕の違和感が点滴なのだと把握する。
しばらくぼんやりしていたが、ノックの音で視線をそちらへ向ける。
聞こえるような返事ができないのが申し訳ない。
入ってきたのは昨日の彼で、後ろにはエプロンをつけたお手伝いさんと思われる女性が二人、控えている。

「おはよう。起きてたんですね」

言いつつ、彼は慣れた様子で女性達に合図をした。
起き上がるのも無理だから、体を拭くように用意してくれたらしい。

「大丈夫。彼女達は看護の経験もあるから、恥ずかしがらないで。安心して任せていい」

口を開くと、彼は煩わしい素振りも見せずに待ってくれた。
親切な人だ。

「ご、めん…なさ……」

彼は目を丸くして、何を言うんだと首を振った。

「お世話、を……かけ……」

何も持ってない。
感謝の気持ちを示すしか、この恩を返す術が今の自分にはない。
なのに、苦笑した彼を見て、それすら失敗したのだと察した。

「そんな言葉は要りません。あなたはあなたの事だけ考えればいい。言ったでしょう。僕達の事は気にしないで。遠慮せずゆっくり休んでくれればいいですから」

視界がぐっと熱く滲んだ。

「……ありがとう」


彼が出ていくと、早速布団を剥がされた。
そこで初めて自分が着替えさせられていると気付いた。
ゆったりとした白いワンピース。
恥ずかしいと感じるより、地面に転がってたんだから当然だと思った。

「では、始めますね」

一つにまとめた栗毛に白髪が混じる女性は、そう言って品よく笑った。
前のボタンを外すと、もう一人の若い女性はハッと息を呑んだ。
反射的に年配の女性へ視線をやった彼女は、強い視線にたしなめられた。

少しずつ具合が悪くなって、薬を飲むようになってから徐々に食欲が落ち、大分体重が減った。
寝込むことが多くなっても風呂には自分一人で入っていたし、自分の体が骨張ってみっともないのはわかってる。

慎重に寝かされて、ホッと息をつく。
礼を言うと、年配の女性は「いいえ」と穏やかに微笑んだ。
それから吸い飲みで牛乳を飲ませてもらって、ほんのりした甘さが幸せをくれた。

毎日、希望の無い生活を送ってきた。
いつも目の前が壁で塞がっているような。絶望の中で生きてきた。
それが今は取り払われて、急に広い場所へ解き放たれたようで。
体はとても辛いけれど、心は自由になれたと思う。
これからどうすればいいか戸惑いはあるけれど、もう殺される恐れはない。


食事はお粥やパンを少しずつ食べて、トイレはお手伝いさんの手を借りて車イスで行った。
そうやって何日か過ぎたけれど、何も考えなくていいと言われた通り、事情を聞かれる事も無ければ名前さえ聞かれなかった。
そして助けてくれたお医者さんは、私が寝てしまってから夜中に来てくれているらしい。

想像していた通り、ミルクティー色の紳士はこのお屋敷の主人だった。
彼は一日に最低一回は必ず部屋へ訪れた。
申し訳ないとこぼしたら、年配のお手伝いさんに「また旦那様に叱られますよ」と言われてしまった。

そうやってまた何日か過ぎた。

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あきゅろす。
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