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短篇

込み上げる喜びで頬をほころばせ、ケーキが届くとテーブルにばたんと本を放り出す。
食べる姿勢の椿を見ても男性は去らない。
どころか、どうぞ気にしないでと言いながらさらりと座ってしまった。
他にも席はあいているのに。と思ったが、言われた通り気にせず目の前のケーキにとりかかる。
一人で過ごす時と同じ様に、椿はこっそりと日本語で「いただきます」と囁く。
頬杖をついてまじまじとそれを眺められようと、何を読んでたのかと本をチェックされようと、ケーキの前では最早眼中に無い。

「おいしーい」

思わずもれた呟きはやはり日本語だった。
日本で生まれ育ったので、感情的になったりして咄嗟に出るのは英語やフランス語より日本語だ。
んふふ、と幸せそうに笑い、最後の一口を食べ終えるまで、椿は正面に座る男性の存在を失念していた。
何か大きな壁の様なものが目の前にあるな、ぐらいの感覚しかなかった。
そういえば……と思い出し、この人は何なのだろうと再び不思議に思う。
椿は彼を受け入れるつもりはなかったが、迷惑だと拒絶することもなかった。
いくら見られていても、どこか他人事の様に眺めて不思議な人だと考えるだけだ。

ショコラショーを一口飲んだら、関心はあっさり次へ向かう。
再び本に手を伸ばし、続きを読まねばということへ。
椿にとって彼は今必要のない人で、どうしようと深い興味は無い。
だから挨拶以上の言葉をかけられて新鮮に戸惑う。

「そのバッグ、とてもいいね」
「……ありがとう。祖母から貰ったものなんです」
「なるほど。おばあさんが使ってたんだね。すごく大事にしてたんだって見ただけでわかるよ」

椿はブランドに興味がなく、知識も皆無だった。
有名な名前ならば聞いたことぐらいあるが、それが何を扱っているかまで問われたらわからないことも多い。
そんな程度だから貰ったって価値がわからないし、管理しきれずにダメにしてしまうと思い断ったのだが、病床で形見にと言われて頷いたのだ。

彼は一目でその価値がわかる人なのだと思った椿は、興味がわいて質問をしてみたくなった。

「教わった通りに手入れしてはいるんですけど、大丈夫でしょうか。ズボラだから、ダメにしてないか心配で」
「平気だよ。すごく状態がいい。これならすぐにでも欲しがる人は沢山居るだろうね」

大丈夫だと知ると安心した。
だがそうなってもますます責任感がのし掛かる。

「価値のわからない私には過ぎたものです。でも違った価値を感じているので、頑張って大切にしないといけません」

バッグとしてどうとか、ヴィンテージがどうとかはわからない。
祖母は、結婚三十年のお祝いに祖父からこのバッグをプレゼントされた。
祖父が亡くなっても、祖母は大切にこのバッグを持っていた。
これは、二人の愛の証だ。
そんなストーリーが、何よりも椿に価値をもたらす。

「ロマンティックだね」

自分が価値を感じたものに共感されると嬉しくて、椿はそうですねと頷いた。
しかし彼は「違うよ」と指を振った。

「君のことだ」

認識のすれ違いが起きた。
くすぐったさを感じたのは、今の現象をそう思った後だった。
変な人だと言われることは多々あるが、ロマンティックだなんて評価をされたのは初めてだった。

最初からすごくフレンドリーで不思議に思ったものの、不快感を抱かなかったのは、彼の人間性によるところが大きいのだろう。
明るくにこやかで、警戒心を抱かせない穏やかな空気がある。
改めてきちんと意識して見てみると、ハンサムで爽やかな人だ。
無意識にその印象のよさも影響していたのかもしれない。

濃い蜂蜜色の髪がゆるく波打つ。
目元はキリッとしているのに、表情のせいか優しげな印象を与える。
虹彩は深い緑で、瞳のまわりが明るい茶色になっている。

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