短篇
15
この日、赤いドレスに身を包んだヘレンは、落ち着きなく室内を歩き回っていた。
ここは楽園とすら称した場所なのに、今はリラックスできる心境になかった。
座ってお茶を飲んだらどうかと言われても、使用人に生返事をするばかり。
ドアを開けて一目でこの状況を把握した当主は、使用人と目配せし、困ったようにぎこちなく動く表情を見て苦笑した。
「ヘレン」
その声に反応を見せたヘレンの顔には不安が滲んでいる。
重い溜息を吐くその様がかわいそうなほどだったが、それがレオに彼女を守らねばという気にさせた。
レオは細い腰に腕をまわし、そのやわらかい体を抱き寄せた。
大切にそっと包み込んで、背を撫でて慰める。
「こわいだろうけど、少し辛抱して。いとこのミレイユが味方になってくれるから、女性陣だけになっても心配要らないよ」
叔父が最初に用意した花嫁候補がミレイユだった。
もともと兄と妹のように仲がよかったが、互いにそれ以上にはなれないとわかっていた。
それで結局、叔父は娘を嫁がせることを断念したのだ。
このことはミレイユとの間に距離をつくるどころか、より強い絆を生んだ。
今では親友のような関係になっている。
だからヘレンのことを頼んだら喜んで味方になってくれたのだ。
少しは安心してくれたようだが、ヘレンはまだ強張ったままだ。
「ヘレン。こんな調子で、君は今日何か食べたの?お茶ものどを通らない?」
レオを見上げる顔は、今度は泣き出しそうだった。
本当に余裕がないのだろう。
「それじゃあ、ほら。せめてお茶くらい飲まなきゃ、ね?」
使用人に合図して紅茶を入れさせると、レオがカップを取ってヘレンの口元へ運ぶ。
ふわんと、甘い香りがたつ。
するとヘレンの表情がゆっくりと和らいでいく。
薄く開いた唇は小さく息を呑んだようで、僅かに頬がゆるむ。
少し潤んできらめく目に、明るい色が戻る。
嬉しい兆しを見てとり、レオも微笑を浮かべた。
「飲んでごらん」
レオが持つカップを下から両手の指先が支え、こくりと一口嚥下する。
「りんご」
可愛らしく微笑んで呟くヘレンが愛しくて、レオは思わずその頬に触れた。
「そう。りんごジャムが入ってる。もっと飲む?」
二口、三口と飲んだ後、おいしい。と声がもれる。
「君はやっぱりりんごの妖精なんじゃない?だからりんごが無いと元気が出ないんだ」
半分冗談だが、半分は本当にそう思えた。
対してヘレンはそれを馬鹿にしたり笑って受け流したりはなく、ただ恥ずかしそうに唇を噛んだ。
レオはこんな彼女が好きなのだ。
清麗で、可憐な彼女が。
だから。
「ヘレン。領主家に相応しくあろうと無理に背伸びすることはない。誰に何て言われようと、君はそのままで完ぺきだから。そのままの君が伝われば、きっと受け入れてくれると信じてる」
カップを置いて、赤い前髪を横に流して額にキスをする。
「何が起きても、君は自分を責めなくていい。愛しい僕のりんご」
居心地が悪そうな使用人が目の端に入って、レオは下がっていいと仕草だけで示した。
居なくなるのを待って、キスをする。
レオは見られていても気にしなかったが、初めての唇へのキスの時を大事にしてあげたかったのだ。
そのやわらかな唇はほんのり甘かった。
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