シリーズ・短篇
3
初めて好きな人のベッドで目覚めた朝は、抱き枕という言葉以上の何も起こらなかったせいか、日常のそれと変わらないように思えた。
ただ、嬉しさと安心感はある。
上体を起こし時計を探して見ると、まだやっと夜が明けたくらいの時間だった。
隣で動いた気配がしたかと思うと、寒い。と腕を引かれて横にさせられる。
「……寝ろ」
布団をかぶり、抱き寄せられる。
「はい」
こんな事は確実に人生において革命的な出来事だから、もっと劇的な変化や感動が起こるものだと思った。
やはり、添い寝程度だからだろうか。
けれど、想像したよりずっと幸せであるとわかった。
こんなに心満たされるものだと思ってもみなかった。
二度寝して起きたら九時近くで、隣に人は居なかった。
部屋に気配が無く、慌てて起きてベッドを調える。
寝室から直接続くバスルームからも音はしないので、部屋を出て様子を窺ってみる。
書斎を訪ねたりあちこち開けて探すのも気が引けるので、ひとまず下りてみたら、キッチンで物音がしたので飛んでいった。
は、いいものの。
手前まで来て家事代行サービスの人だったら?と思い出して念のためそろっと覗く。
「あ」
つい声をもらしてしまい、その人が気付く。
「起きたか。飲むか?」
どろどろした緑色の液体がミキサーに入っている。
グリーンスムージーとかいうやつだろうか。
「ん?」
黙っているので返事を急かされた。
側へ寄ってちょこっとシャツをつまんだのは甘えたつもりではなく、言うなれば反射だ。
「起きたら居なかったから、もう出掛けちゃったかと思いました」
それがあまりにも寂しく感じた。
「今日は居るって言ったろ」
抱き寄せられるとほっとした。
インターフォンで対応するのを、家具が届いたんだなと思いながら眺める。
「客だ」
急な事で、狼狽えた。
「僕、部屋に行ってた方がいいですか?」
「いや、ここに居ろ」
「はい……」
人としてきちんと挨拶しなければならないのは勿論。
人にちらっと聞いただけだが藤堂さんは不動産で成功してるらしいし、身なりやこの家から考えてもそれなりに立場のある人だとはわかる。
しかもお父さんは議員で弟さんはその秘書というから、何か失態を演じて藤堂さんの顔に泥を塗るわけにはいかない。
また浅慮をさらしてしまう事も考えて、おとなしくしてるのがいいだろう。
緊張して起立して待っていると、現れたのは藤堂さんの友人の弁護士さんだった。
口を開けたまま、びっくりして挨拶を忘れていた。
「織江とは何度か会ってるな」
はっと思い出して、慌てて頭を下げた。
「その節は、失礼しましたっ」
あれだけ邪険に追い返した相手とこうして会う破目になるなんて。
友人なのだから会う事があったっておかしくないが、自分と藤堂さんとの事しか頭になかったのだ。
本来ならば恥ずかしくてまともに顔を上げられないところだが、それでは藤堂さんにまで恥ずかしい思いをさせてしまう。
「あの、改めて挨拶させてください。香山泉です。昨日からこちらに住まわせてもらってます」
きちっと目を見て言い、よろしくお願いしますとお辞儀した。
目を丸くした織江さんはよろしくと握手して、藤堂さんに呆れた声を出す。
「あんなに嫌がってた子を、よくここまで懐かせましたね」
「俺はただ口説いただけだ。ま、ここまで俺に欲しいと思わせる奴は他に居ないがな」
ちっとも悪びれない藤堂さんに、織江さんは「横暴な人だ」と呟いた。
「しかし、私も片棒を担いだようなもんですからね。何か困った事があったら、責任を持って相談に乗りますよ?」
「おい」
織江さんが、逃げたい時は助けてくれると言ってくれたんだとわかった。
藤堂さんは冗談でも嫌そうに友人を制した。
自分を放すのを嫌がってくれたのが嬉しくて、思わず笑みが込み上げる。
「それじゃあ、困った時は相談させてもらいます。藤堂さんの友人として」
逃げる手助けという意味ではなく、言葉通りの意味で言った。
藤堂さんはムッとして口を開いたが、すぐに片頬でニヤリと笑った。
おや。と驚いた織江さんも、にこりと笑って頷いてくれた。
「彼と付き合うのは大変でしょうからね。愚痴に付き合いますよ」
藤堂さん同様、最初の印象はよくなかったが、今は織江さんという人が好きになれると思った。
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