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シリーズ・短篇

料亭の裏にある女将さんの自宅の方が、懐かしさが強い。
母が働いている間、よくここで色んな人に遊んでもらっていたから。

「泉ちゃん、覚えてない?藤堂さんて、凌ちゃんよ?よく遊んでもらってたでしょ」

藤堂凌一郎。
まさか、遊んでくれた中にあの男が居たなんて。

「議員さんの息子さんで、うちの板前が凌ちゃんのお母さんの弟でね」

皆、僕と遊んでくれる大好きな人達だった。

「ああいう性格でしょ。自分の弟も構ってやったことないのに、泉ちゃんばっかり可愛がって面倒みるもんだから、ご両親が嬉しがってね。特にお母様がね。泉ちゃんが凌ちゃんを優しくしてくれるって」

だから藤堂のお母様が板前の弟さんに頼んでよくここへ遊びに来ていたらしい。

「泉ちゃんが居なくなってから、荒れて大変だったそうでね。うちにも何度か乗り込んできたのよ。私達が隠したんじゃないかって」

母がここを辞めたのは、他にやりたい事ができたからだと説明されたことがある。

「凌ちゃんの弟がお父様の秘書についたから、いずれ後を継いで議員になるんでしょ。それでお父様からの期待が無くなったんでしょうし。今は不動産で成功してるから、ある程度自由がきくようになったんでしょ」

そして念願のオモチャが手に入る。
気に入ったオモチャが突然奪われたから、余計に執着するのだろう。
我儘な支配欲のために。
望めば何でも手に入ると、満足するためだけに。
優越感を得て、王者で居続けるために。
僕は捕らわれ、オモチャにされる。

「それでやっぱり、お父さんのことは知りたくない?」

目をそらすと、女将さんは続けた。

「知りたくなったら私に聞いて。凌ちゃんのことは、私からも言ってみるから」

女将さんが呼ばれて行ってしまうと、今の話をぐるぐる反芻して考えた。
戻ってくるなり、女将さんは慌てて告げた。

「凌ちゃんが来る。電話があって、今から迎えに来るって。表で何とか説得してみるから、泉ちゃんはここに居なさい」

いいわね!と言い聞かせて、女将さんは行ってしまった。
ずっと見張っていて、ここへ逃げ込んだと知って怒ったのだろう。
今度こそ殴られるんじゃないかと思う。
これが最後のチャンスとばかりに猶予をもらった。
挙げ句また裏切って逃げようとしたのだから。

説得されて聞く人じゃなさそうだ。
僕はもう捕まる。
障子越しに声を掛けられてびくつく。

「藤堂様がこちらにいらっしゃるようでしたら声をかけます」
「わかりました……」

それが、終わりの合図だ。

冷えていく指先を握り締め、体の震えを感じ、泣きそうになる。
僕は僕なりに生きていければよかった。
けれどそれが否定され、これから奪われようとしている。
膝を抱えて丸まって、震えながら息をひそめる。

「来ました」

どすどすと重い足音が近づいて、恐ろしくて耳を塞いだ。
バシン!と障子が開けられる。
怒っているだろうと予想はしていたが、その怒りの形相と、全身から溢れる燃えるような憤怒を間近に感じ、逃避や抵抗なんてものは吹き飛んだ。

女将さんに制止されるのも聞かず、障子を閉めるなり藤堂は手首を掴んで乱暴に引いた。

「痛いっ」

藤堂とはつくりが違うので、怒りに任せて扱われると辛い。
突き飛ばされて畳に仰向けに転がる。
そこに藤堂が覆い被さってきて、戦慄する。

「や…っ、嫌だ!待って…!助けてっ、お母さぁん!」

逃れようと暴れても、頑丈な肉体はびくともしない。
こうなったら誰も力づくでは止められないのはわかってたはずだ。
なのに、己の口から出た言葉に愕然とする。

「誰か、お願いっ。嫌だぁあああッ!」

“誰か”なんて馬鹿げてる。
僕はこれまでずっとそれを無視してきたのに。
僕は一体何に助けを求めてるんだ。
絶望して、ひくんっとのどから合図が出ると、涙がじんわり生まれてくる。
手足の力が抜け、頼りない防御がとける。

形ばかりでいい。
女将さんには止めようとしてほしかった。
音も無く涙が溢れて、こめかみを伝い流れていく。
馬乗りにされ、放心してだらりと横たわる僕を、藤堂は表情を変えず見下ろしていた。

「お前は俺のものだ。俺だけのものだ」

藤堂は体の上から退くと、鋭い目で見下ろして言った。

「お前の言うことを聞いてるとキリが無い。今から連れていく」

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