シリーズ・短篇
10
暗闇の中、ソファーで目を覚ました陽は、手探りで頭の下にある温もりに触れた。
それが膝枕だと察すると焦って身を起こし、手探りで明かりをつけた。
そして眠っている朝霞を見て、ひっと小さく悲鳴を上げる。
おろおろしている内に身動いだ朝霞にびくつき、起きた朝霞と目が合ってまたびくつく。
「起きたんですね!?」
「えっ……?」
何故喜ぶのかわからず首を傾げると、朝霞は眉間にシワをつくった。
「覚えてないんですか?」
「何を?」
「だって、急に気を失ったようになって……。びっくりしたんですよ?」
陽はわけがわからなくて、ただ眠っただけだろうと言ったが朝霞は納得しなかった。
「じゃあ、俺の言った事も覚えてないんですね」
そりゃあ眠ってる間に何か話し掛けられても覚えてるわけがない。
陽は朝霞に近づこうとされると一歩後退り、それを見て朝霞は無理に近づくのをやめた。
「弁解を……言い訳をさせてください」
態度の違いを感じはしたが、それでも陽はすぐに信じられるわけがない。
「俺が、お前を信じられると思うか?」
あんなに素直な気持ちを訴え、少しの苦痛も愛情から来るものなら我慢出来るとも言ったのに。
朝霞はそれを否定し、虐げられるのが好きだなどと不本意な捉え方をされた。
自分勝手だ。
疑われ、酷い扱いをされる身にもなってほしい。
「俺だってそうやって必死に訴えたのに、信じなかったのはそっちだ。俺はちゃんと、お前を好きになった事に葛藤があったって言った。だから必死に抵抗してたのもわかってたくせに。否定したのはそっちだ。お前がストーカーだから……。こんな間違ったやり方で始めたからそうなったんだろ」
陽はやはり頑なに、朝霞を拒んで非難した。
「言う通りです。だから俺は、ストーカーをやめます。昨夜それをミナミさんに誓いました。俺が間違ったやり方で、屈折したままミナミさんに近づいたから悪かったんです」
「俺は、もう……」
「信じてもらえるまで……。またミナミさんに受け入れてもらえるまで、頑張りますから」
そういう執着がストーカーって言うんじゃないか?と思ったが、陽はこれ以上のやりとりが面倒で口を噤んだ。
その態度から拒絶の意思を感じていたのに、朝霞はその沈黙をいいように解釈して勝手に納得した。
悔い改めるような事を言っておいて、相変わらず朝霞は勝手に家に居たり干渉を続けた。
束縛や脅迫が無いのは進歩と言えなくもないが、それだけで常識的な人間になったと思ってるんならそれこそ異常だ。
陽はそれを恐れている。
彼が根っからのストーカーかもしれない事を。
ここまでしておいて出来心でしたなんて言われても信用できないが、何かのきっかけでたまたまボーダーラインを越えてしまったという事はある事だ。
しかし。
朝霞という人間が元から異常な性質を持っていて、飛び越えるボーダーラインなんてものが無いんだとしたら。
彼を戒める常識も、矯正する理性も、彼を“普通”という枠には押し戻せないだろう。
だってそうであれば、彼が立ち返る正義は無いのだから。
彼が悔い改めたと思っていても、そこはまだ異常な場所なのだ。
恐怖は間も無くやってきた。
帰宅して電気をつけると、当たり前のような顔をして男はそこに居た。
陽は腰を抜かし、その場にぺたんと座り込んでしまった。
涙も、言葉さえ出なかった。
朝霞は本当に異常者だったのだ。
そうわかったら今までにない恐怖が襲って、ぶるぶると体が震え始めた。
今までの自分が何もわかっていなかったのだと、のんきだったのだとさえ思う。
「おかえりなさい」
朝霞は“普通”に、にっこりと微笑んだ。
腹から湧いた恐怖、戦慄、絶望などの感情が心臓に絡みつき、じわじわと締め上げられていくような気がした。
目の前のソレには目もやらず、朝霞は平然と笑うのだ。
「今日も遅かったですね」
包丁をテーブルに置き、暗闇でじっと帰りを待っていた理由など考えたくもない。
ストーカー殺人のニュースが脳裏によみがえって、ザァッと鳥肌がたつ。
生き延びるには、一つしかないと思った。
「あ……さ、か……」
声がスムーズに出ない。
「ん?何です?」
どうして“普通”に振る舞えるのだろう。
どうして“普通”を装えるのだろう。
それが、朝霞が異常である証拠だった。
どうか、その包丁を握らないでほしい。
そう願い、捨てたはずの恋情を必死に掘り起こし始めた。
のばした手を、きっととってくれる事を信じて。
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