シリーズ・短篇
7
「何……?」
「貴方が今『もう逃がして』って言ってたら、本気で諦めようと思ってたのに」
真っ直ぐに見つめる目は真剣ではあるが、その真偽はわからない。
「俺が本当に、貴方が恐がる様を見て心から喜んでたと思います?」
何を言っているのか耳に入れるのが精一杯で、必死に意味を悟ろうと瞳を凝視する。
本当は何を言いたいか。
何を企んでいるか。
「まぁ確かにそれも無いとは言えないですけど。……陽さんは好きな人に怯えられて嬉しいですか?俺は腹が立ちます」
『好きな人』という表現にドキリとした。
それはときめくなどという喜びの類いなんかでは無く、意表を突かれた様な、驚きだった。
好きな人への愛情なんてものを、男から感じた覚えは無い。
好きだ何だと言葉にした事もあるが、そこから愛情を感じた事は無かった。
自分の中でネガティブな感情ばかりが先立って、そんな認識は頭に無かった。
「そりゃあ入り口を間違えたのは自分ですし、そうなっても仕方ないですよ」
後から後から頭の中で言葉がぐるぐる回る。
「だけど元々、同性愛って時点で可能性無いようなもんだし。真面目に言ったところで結果は見えてる。だから初めから幾らでもヤケになれたんです」
嫌われる覚悟で。
確実に嫌われる方法でも、それで近くに居られるんならいい、と。
「だけどやっぱり好きなんですよ。好きな人には好きになってもらいたいんです」
整理したいのに間に合わなくて、訳もわからずうつむいた。
「好きだから嫌われてもいいと思ってそうしたのに……。ツラそうなのを見て、好きだから離れなきゃと」
「……待っ…て」
「須崎って男にも嫉妬しました。でも逆に、その男とくっついたと思えば諦められると思った。なのに貴方は『わからない』って言った」
腕をとられて反射的に強張るけれど、男は気にせずその胸に抱き寄せた。
抵抗する気力も無く、考えもまとまらない。
「どうして嫌だって言わなかったんです……?」
「わからない…っ」
「解放してくれって、どうして言わなかったんですか」
「待っ……ちょっと待ってって」
大分泣いたと思ったのに、また視界は潤んで頬を伝う。
「チャンスだったのに。どうして逃げないんですか?今もこうやって……」
「聞きたくないっ」
「……何で離したくなくなる様な事を言うんですか。残念ですけど……もう逃がしたくない」
抱き込まれながら、目の前のシャツを握った。
そこに深い意味なんて無い。
ただ酷く疲れていた。
逃げられないと思わせるのも、混乱させるのもそっちのせいだ。
それを棚上げしてこっちが悪いような言い方をする。
「アンタを、好きにはなれない」
そんなの初めから互いにわかってた事だ。
「ストーカーだし、いい事を言ってる風にまた追い詰めてるし」
「ははっ、すいません」
「やっぱり……だから嫌いだ」
抵抗どころか思考さえ出来なくなる程に、とことん追い詰める。
より一層逃げられないのだと思わされ、有無を言わさず従う羽目になる。
「逃げられないならせめて、今より少しだけでも楽になりたいって、思ったらいけないのか……?」
逃がさないくせに。
どうせ逃がす気が無いくせに。
「何でこんな言い方しか…っ、こんなやり方しか出来ないんだ…!」
初めから望みが無いと思っていたから、酷い方法を選べる。
男のその言葉はきっと真実なのだろう。
「いつも、俺ばっかり悪いみたいにぃ…っ。お前の何を信じればいいんだっ。どうやって好きになれっていうんだ…っ。矛盾してるじゃないか…!」
背中でするりと動く手。
力がこもったその腕は憎らしい事に、今までに無く気遣わしげで親切だった。
それが愛情か策謀かはまだわからない。
「可愛い。貴方が好きです」
甘く言ってみせるその憎々しい告白が虚しい。
「お前なんか、好きにならない」
「はい。それでも」
わかっている。
それでも逃がしてはくれない。
「嫌いだ」
嫌い、嫌い、と続けるのを男は頷いて受け止めていた。
けれどそんなのが愛情からだなんて思わない。
受けて当然で、それでもまだまだ足りるわけない。
男の「好き」なんて認めない。
それが今自分に出来る最大の抵抗だ。
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