シリーズ・短篇 8 嘘だ。 事実を否定したい気持ちと、それでも僅かな可能性にすがる諦めの悪さ。 ぎゅうっと強く拳を握り締め、後方へ流れる景色を窓越しに睨み付ける。 「だけど私はマネージャーである前に人間です。アーティストを支えるのがマネージャーなら、一人の男性である春日寛人さんを支えるのが私なんです」 理解が追い付かない。 脳は混乱して、体は固まったまま動けない。 「だから他の男の前では私に見せて下さる様な可愛らしい顔を見せてほしくはないです。触れてほしくもない」 一気に顔面に熱が集まる。 「佐伯さんに対しては、どうしても冷静では居られなくて……彼はADなんですよね。なのに私はマネージャーのままで居られない」 公私混同してしまう自分に怒りを感じながらも、やっぱり佐伯には男として腹が立つ。 表に出ないだけで、向井さんの内にはそんな葛藤が存在していた。 嫉妬を剥き出しにして不用意に約束を迫ったりしたから。 佐伯の前で笑うな、佐伯には触れさせるなと。 それは佐伯の存在をストレスに思っていた俺を更に追い詰め、逃げ場を無くし、泣かせた。 「マネージャーとしても男としても駄目でした」 落ち着こうと努めるも当然冷静さは戻ってこない。 気持ちを新たにマネージャーという仕事を頑張るという決意表明。 そして。 「寛人さんのプライベートの時間だけは、自分一人のものだと思いたい」 訪れた沈黙は、告げられた想いへの返事を待つものだ。 直ぐ様頷いて、今すぐ抱きつきたい。 けれど硬直した体は動かないし、喉は一つも声を出させてはくれない。 もたもたしている内に自宅のあるマンションへ到着してしまった。 返事をするならこのタイミングしか無いと気持ちを急かしてみても、何からどう想いを言葉にすればいいかなんて事を考えて焦る。 もう一度きっかけがあれば勇気を出せる。 けれど、それは来なかった。 「お休みなさい、寛人さん」 明日からもまた、曖昧に想いが繋がったまま。 それ以上も、以下も無い。 強張ってぎくしゃくとした仕草になりながら、背を向けドアを開ける。 と、腕を引っ張られた拍子にシートに体が叩きつけられて目を見開く。 合わせた目は真剣で、向井さんは心臓を壊す気じゃないかと本気で思う。 息を詰めて見つめる間無言が続き、一言謝罪の言葉を口にすると手が離れていく。 硬直して動けない自分に繰り返された言葉は苛立っていた。 ゆっくり体を起こして、聞かれない様に静かに深呼吸をする。 それは微かに震えていた。 「向井さん」 発したそれは思ったより小さく、けれど向井さんの意識をこちらに集中させる程には役に立った。 「何て言えばわかんない。向井さんみたいに……ちゃんと、気持ちを整理して……何て言えばいいか」 混乱する脳は最早あらかじめ言葉なんて用意出来なくて、思ったまま、感じたままを口から出していく。 「軽く思われる……じゃなくて、軽く、受け止められる?……のは嫌だから、きちんと言いたいのに」 優しい温度が肩に触れ、それが落ち着かせようとしてくれているのだと伝わってくる。 「だって好きだから…!本当にそう思ってもらいたいし……ちゃんと、好きになってほしい。嘘じゃやだ」 向井さんが嘘をついているとは思ってない。 そんな事を言いたいんじゃない。 もっとうまく言えれば、と悔しさと共に唇を噛みうなだれる。 「私の自宅に行きましょうか」 夜の暗さで赤面がバレないのが救いだ。 心臓が延々落ち着きを取り戻せないまま、それから一言も無く向井さんのマンションの部屋まで来てしまった。 勝手に白と黒のシンプルな部屋を想像していたら、オフホワイトを基調とした優しい雰囲気の室内だった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |