シリーズ・短篇 1 優しく穏やかな両親のもと、あたたかい家庭で育った。 真面目で頭のいい姉と、四人家族。 彼らは、エミルが思春期に打ち明けた秘密を僅かな動揺だけで受け入れた。 家族ならそうするのが当然だとでもいうように。 偽りのないそのままのエミルと友情を築いてくれた者も何人か現れた。 オリヴァーとの出会いは、働いていたカフェだった。 長身でがっしりとした骨格に鎧の様な盛り上がった筋肉を纏った彼に、自然と目が行った。 ダークブラウンの短髪に涼やかな笑顔が眩しくて、いつのまにかうっとりと見惚れるようになっていた。 関心を引こうなんて考えはまったく無く、そのために計算して振る舞ったこともなかった。 例えば彼が恋人だったら……なんて想像をして楽しむことはあったけれど、実際にそれが叶うとは思いもしなかった。 いつか素敵な恋人ができたらなって考えるばかりで、行動に移すことはない。 それはエミルが消極的で、のんびりおっとりした性格だからだろう。 彼からはっきりと“デート”だと断った上で映画に誘われた時、汗をかくほど赤面して狼狽したら、「あんなに熱く見つめてたのに」と笑われてしまった。 バレてたんだと思ったら恥ずかしかったし、あり得ない展開に混乱してたし、何よりとても嬉しくて、涙ぐんで何度も頷いた。 オリヴァーは飛行機を設計する人で、自宅の作業場で自分の手で作ってもいた。 彼の仕事に干渉する気はないし、難しいことはわからないからあまり触れない。 けれどオリヴァーは“店でナンパされないか”“色目を使うヤツはいないか”と心配して、店員や客のことをよくたずねた。 初めてできた恋人だし、最初は愛されてる証だと嬉かったけれど、次第に行動に注文がつけられ、制約されていくと、さすがに嫉妬深いと感じるようになった。 それでも彼が好きだから、言いなりになって仕事も辞めてしまった。 辞めた後になって、バカだと思ってももう遅い。 「ねぇ」 飛行機の骨組みに夢中な彼は、背を向けたまま生返事をした。 『キレイな君に好印象を持ってもらえるだけで“やった、ラッキー”って思うのに、熱く見つめられたらもう抵抗できないよ』 オリヴァーはキレイだと言ってくれた。 何故これまで手つかずだったのかわからないとも。 無知で無垢なエミルの真剣な想いを負担に思わず、むしろそんな相手を求めていたと喜んでくれた。 それだけにオリヴァーはよそ見もせず一心にエミルへ愛情を注いでくれた。 エミルにとって願ってもない幸福だった。 だが今となっては、オリヴァーはその監督下において操縦できるもの、支配できるものを求めていたのではと思えてならなかった。 行動を制限し、自由を奪う、息が詰まる彼の束縛は、エミルに人としての尊厳が無視される思いを抱かせた。 こうなるまで唯々諾々と従ってきたエミル自身にも責任はあるかもしれない。 だから、自分の意思を主張すると決めたのだ。 彼がエミルを無視しておとなしい人形で居ろと求めるなら、悲しいが、別れるしかない。 言う通りに操られ言いなりになるだけの存在なら、エミルでなくたっていいのだ。 これがそんな虚しいものなら、去るしかない。 たとえ彼を愛していても。 いや。愛しているから。 だから、去るのだ。 愛する彼に見てもらえないなら、こんなにつらいことはない。 こんなにつらく虚しい関係を続けていけない。 エミルの心を痛め付けるのも、救うのも、オリヴァーなのだ。 「あのさぁ。僕、また仕事したいなぁ。しちゃダメ?」 緊張して上目にうかがうエミルを一瞥したオリヴァーは、感情の見えない顔をしている。 そしてオリヴァーは呆れた様に、短く息を吐いた。 あぁ、ダメか。と、背筋に絶望の寒気がはしる。 「何のために?いいだろう、俺が居るんだから。エミルは俺が守ってやる」 ぐっと胸をふさがれる。 違う。そうじゃないと叫びたい衝動が、うまく言葉にならない。 「うん、そうだけど……。だって、オリヴァーは飛行機があるでしょ?僕も、何か……」 「さみしいのか?これでも俺の仕事はずいぶん恋人との時間がとれる方だと思うけど」 確かに、さみしい。 けれどこんなに一緒に居ても、オリヴァーはちっともエミルを見てくれてない気がするのだ。 「オリヴァー」 「どうしても何かしたいってんなら、仕事じゃなくてもいいだろう。家でできる何か、趣味を見つけたらいい。そうすればずっと一緒に居られるし、気もまぎれるだろ?」 「違うよ。そうじゃなくて……」 悲しくって、言葉にならない。 涙の膜が、ゆらりと視界を潤ませる。 [次へ#] [戻る] |