シリーズ・短篇
3
楽屋の扉を閉めた途端視界はスーツの黒い色に塞がれ、閉じ込める様にその腕は扉に着く。
今までに無いアクションに驚くのは勿論、反射的に腕は胸元に行き強張る。
その目からはいつもの冷静さが消え、縮こまったままでしか居られない自分を真っ直ぐに睨み付ける。
焦る脳で懸命に言葉を探し組み立てる。
けれどどう頑張っても喉はどうしたの?の一言も出させてはくれない。
何も言えずに、動けずに居るこの態度にもきっと苛つくかもしれない。
そうやって焦る程に混乱して体が震え出しそうになる。
「中学の同級生?」
苛立ったトーンのそれに何も返せない。
「あの男と付き合ってたんですか?」
「何……?」
何を言っているのか。
もっとゆっくり、わかる様に話してほしい。
「嫌らしい手付きであちこち触られて笑ってたでしょう?」
「違う…っ、違う!だって」
「何が違うんですか。詳しく説明して頂きたいですね」
違う。
触られたいのは佐伯なんかじゃなくて――。
会話を聞いていたなら、そんなに仲良くなかったってわかった筈だ。
それなのにこんな。向井さんらしくない。
「笑ってない。佐伯になんか」
バラされやしないかとビクビクしている姿を楽しんでいるに決まってる。
「あれは」
正直に言うには勇気が要る。
向井さんは同じセリフでその先を促す。
「向井さんなら……嬉しいのに、って」
恥ずかし過ぎて、本当なら口になんてしない。
顔が熱くなるのを感じながら、それでも向井さんの気持ちに応えたくて必死に言葉を繋ぐ。
「アイツには、我慢して笑うしかなくて。だから、これが向井さんならって考えて」
固まる手元や床、向井さんのネクタイへと視線はさ迷う。
「私なら嬉しいと、本当にそう思ってくださるんですか?」
怒気が消えた声色は信じられないといった様に驚きを含む。
おずおずと視線を上げ窺えば、真剣な瞳が見つめている。
こくこく首を振った後、手をとられて思わず力が入ってしまう。
「あんな風に笑うのはよして下さい」
次第に普段の向井さんへと戻りつつあるのに、今のこれはマネージャーではない。
「特にあんな下心がある様な男の前では、絶対にです」
佐伯の事を言っているのだと理解し、黙って何度も頷く。
向井さんの前ではスイッチを切って気を抜いた状態が当たり前だから滅多に笑わないけれど、向井さんでだけ生める笑みがある。
さっきもコメント撮りで笑ってしまったし、スタッフとも笑って話してた。
けれどそれとは違う、向井さんにだけの笑みは他の誰かに見せるのをよしてほしいと言ってくれている。
握られた手首のそこから、激しく打つ脈拍が伝わってしまうんじゃないか。
熱くなる頬はきっと赤くなっている。
嬉しすぎて泣けてくるのをこらえながら、でも笑みが浮かんで、泣き笑いになる。
「それです」
甘さを含んだ音が囁く。
「向井さんにはいいんでしょ?」
くす、と笑って漏れた吐息が届きそうな距離までじりじりと追い詰められる。
無言で見つめる目からそらせず、心臓が高鳴るまま身動きも出来ない。
指がさらりと頬を撫であごを上向かせる仕草も、それをなぞる視線でさえ魅了する。
軽く触れるだけの口づけの後ですぐにまた深く口づけられて、まともに顔が見られない。
「それで、あの男と何かあるんですか?」
「無いよ、何も」
「そうじゃなくて、いじめられていたとか弱味を握られているとか……邪険に出来ない理由があるんでしょう?」
また関係があったかと疑われているのかと思って焦れば違うらしい。
我慢して笑うしかなかったと言ったのが引っ掛かっていたのだろう。
素直に白状しても気のせいだと言って済まされるかもしれない。
だけどここで誤魔化しても怪しまれるだけだし、折角の空気を壊したくない。
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