シリーズ・短篇
1
エヴァンは十八歳にして、穏やかでない人生を送ってきた。
それは、母ミシェルの胎内に居た頃から始まった。
母はエヴァンを妊娠中に父から暴力を受けていた。
母は自身の姉ガブリエルの様に気が強くなかったので、エヴァンが生まれてからも数年の間は耐えていた。
何度も家を出ようと試みたが、その度に失敗してずるずると時が経ってしまったのだ。
エヴァンを人質にとられては、一人では出て行けなかったからだ。
母がシングルマザーになり、平穏な生活が訪れたのは僅かな時間だった。
思えば、エヴァンが心から笑えたのはその時だけだった。
まもなく母は、姉と行った旅行先で姉と共に事故で亡くなってしまったのだ。
それからエヴァンは、ガブリエルの夫である伯父カインに引き取られて暮らしている。
エヴァンには、いとこのルースがいる。
子供の三才の差は大きい。
エヴァンは年上のルースに高圧的な態度をとられると逆らえなかった。
もとから気が優しいタイプだったのと、暴力的で恐ろしい父のトラウマがあった事も大きな要因だ。
伯父は表面上息子のする事をたしなめてみせながらも、決して本気では叱らなかった。
内心ではこの状況を楽しんでいたのだ。
嗜虐的な本性が表出するのに時間はかからなかった。
エヴァンは、長い地獄の中で暮らしてきた。
上体を起こしたことで、エヴァンは自分が倒れていたのだと認識した。
ゆっくりあたりを見回して、そこが廊下だと知る。
何故こんなところで倒れていたのか。
思い出そうとしても、記憶がぷつりと途切れていてわからない。
同時に派手に割れたガラスが目に入って、恐怖が更に煽られた。
家には人の気配が無く、これをやったのが自分かと思うと恐ろしい。
見つかってしまったら、また酷く怒られる。
エヴァンは、咄嗟に逃げることを考えた。
最初こそ学校に行っていたが、カインとルース親子からの暴力が酷くなると外出も許されなくなり、やがて軟禁状態になった。
エヴァンは親子によって強い支配を受けていた。
だから逃げようという考えに外へ出るという発想が無く、彼らに見つからないように身を隠すのがエヴァンにとっての逃亡だった。
外界から隔絶され親子の支配下で畏縮した心は、エヴァンを臆病な子供のままとどめた。
幼い心で見つけた逃亡先は、使われていない部屋のロフトだった。
人が一人横になれるだけのスペースはあるものの、天井がななめになっていて奥行きはない。
覗かれれば見つかるのは明白だ。
けれどそこに疑念はない。
エヴァンは心も幼かったが、外見も実年齢よりずっと幼く見えた。
身長は百六十まで届かず、筋肉のない薄い体つきをしている。
物音と人の気配を察知したエヴァン
は恐怖に震え、ぎゅうっと目を瞑った。
やがて部屋のドアが開くと、びくんと跳び跳ねて硬直する。
エヴァンは凍りついたまま、階段を人がのぼってくるのを待つしかなかった。
大きな目を更に真ん丸くして、ピークに達した緊張と恐怖で息が止まりそうになる。
しかし。
現れたその人は一瞬目を見張ったが、すぐに甘く微笑んで見せた。
「しぃーっ」
口元で人差し指を立て、そして囁く。
「大丈夫。こわがらないで」
誰かはわからないけれど、その人からは優しさが溢れていて、エヴァンは少し安心できた。
金髪にも見える明るい茶髪と、優しい顔立ち。
彼はエヴァンへ手を差し伸べ、そろっと指先をすくいとった。
こわいからそばに居てほしかったが、彼はエヴァンの指を撫でると行ってしまった。
けれどもその温かな仕草はエヴァンの心を奮い立たせ、かつ甘やかな感覚を残していった。
そしてその囁きを思い返せば、待ち遠しさで恐怖は押し出される。
『僕が守ってあげるからね。待ってて』
エヴァンは言われた通りにそこでおとなしく彼が戻るのを待った。
そして彼は戻るとまた優しく微笑み、エヴァンへと両手を広げた。
「おいで。僕と一緒に行こう」
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