シリーズ・短篇 1 不安に思うのは、毎晩電話をかけると言った約束が守られなかったからじゃない。 むしろ逆で、向井さんがそれが邪魔になると判断した時以外はきちんとかけてくれた。 それは十分に幸せを与えてくれるし、二人に流れ始めた空気をハッキリとした言葉で表さなくたって満足だった。 負担をかけたくなくてやっぱり電話はたまにでいいと切り出してから、向井さんは俺に触れなくなった。 触れると言っても今指しているのはあくまで仕事に必要の無いスキンシップの事で、然り気無く頬や体を撫でたりするだけのものだ。 その度に壊れるんじゃないかってぐらい心臓が煩く鳴り出して困ったのだけれど、それが言葉の代わりの様で嬉しかったのも確かだ。 しかし今や、それ以外にはもう向井さんの想いを知る術は残されていないのだろうか。 「どうしたんですかー?」 「え?」 メイク室で髪をいじられながら、鏡越しに目を合わせる。 自分よりは向井さんと年が近いその人はサングラスがトレードマークになっていて、茶色いパーマの髪は少し長い。 「溜息連発じゃないっすかー」 そうかな、と言いながら思い返してみても特にそんな覚えは無い。 「あぁそうだ、寛人さん大概悩んでても自覚無いですからね?向井さん」 「ええ。自分が今悩んでると思ってないですから」 そう言われれば、人から悩んでるのかと指摘されて初めてそう意識する事が少なくない。 それは恐らく日常的に物事を深刻に考え過ぎるからで、二人が言うところの「悩んでる」状態との境目が曖昧でわからない。 性格だから仕方がないだろうと反論しかけて、面倒臭くて考え直す。 ちょうど人が挨拶に来て話も流れたし、と思いきや。 向井さんとヘアメイクさん、他にもスタイリストなど人が居る中で、そのバラエティー番組のADと名乗る男は親しげな笑みをこちらに向けた。 「久しぶり。憶えてる?俺」 忙しくて伸ばしっぱなしになってしまったと思われる黒い髪はすっかり耳を隠し、けれど清潔にはされてさらりとしている。 百七十に届かない自分から見れば皆背が大きいとは思うが、加えてガタイもいいからこうして不意に距離を詰められると余計に恐怖感が出てくる。 話し方からすると昔の知り合いか何かだろうが。 周囲からはコイツはいきなり何なんだ、という怒気を含んだ空気が放たれ、自分はただきょとんとするしかない。 相手には失礼だが、今のところまったく記憶の中で彼と合致する人物が居ない。 その様子を察して彼は苦笑しながら名乗った。 「一緒の中学で、同じクラスになった事もあるんだけど……佐伯って」 「あぁ…!わかった、あの、三年の時生徒会長にされかけて逃げた」 「うわ!そう!わー、やべぇ!すげぇ嬉しい!」 はしゃぐ様に手をとって喜ばれると恥ずかしい。 そんなに仲が良かった方ではなかったけれど、人気があったから教師達に生徒会長に立候補しないかと言われていたから憶えている。 それに比べて自分は社交的ではないし、人気はおろか友人も多くはなかった。 イヤホンをして面倒な人間関係から逃げていた。 そんなまるでタイプの違う人間を憶えていた事の方が驚きだ。 「俺、春日が歌手になってたって知らなくてさ。ADになってから知ったんだよ」 へーとか、ふーんなどと返事する他ないのは二人の間に懐かしむ様な思い出が無いからだ。 けれど我ながら寒々しい愛想笑いを振り撒いていると思う。 「やっぱモテてたからさー、俺の事なんて憶えてないって言われるかなーってビビってたんだよ」 モテていたのはそっちだと言うのに。 それとも自分は受け取り方を誤っているのだろうか。 「誰が?」 「春日じゃーん!え!?チョーモテてたって!言っとくけど女の子とか皆チョー好きだって言ってたかんね!」 自分の知る限りそんな事実は無い上に言葉遣いが引っ掛かる。 「言っとくけど」と今更教えられたって困るし、ましてお世辞かもしれないそれを素直に喜べる素直さを自分は持ち合わせてはいない。 それに「女の子“とか”」という曖昧にする表現や「皆」という大袈裟な単語。 自分が正しい日本語を使えていると自信を持ってはいないけれど、普段聞き慣れない、馴染みの無い言葉遣いだから違和感がある。 [*前へ][次へ#] [戻る] |