シリーズ・短篇
2
『寛人さん。私はね、本来ならば嫌いな人間を視界にも入れたくありません。存在を認識したくありませんからね』
鋭い声が突き刺さる。
そんな事を自分が言われてしまった日にはどうなるだろう。
『社会人として仕事があるとはいえ、回避出来る事にまで自ら責任を持ちたくはありません』
それは仕事じゃなく、好きでそうやって居てくれているんだと、向井さんの言葉で伝えてくれている。
「なら」
その言葉を口にしてほしい。
不安で揺るがない様に、ちゃんと言葉にしてほしい。
「なら、向井さん」
ん?とやわらかいトーンが鼓膜を揺らす。
「電話、して?たまに」
勇気が無くて咄嗟にすり替えてしまった。
『たまにでいいんですか?』
たまにでいい。
そんな贅沢は言えない。
こうやって寂しい夜に、たまに貴方の声が聞けるなら。
俺を迷惑なんかに思ってないんなら、たまにでいいから声を聞きたい。
一つうなずくと向井さんは、わかりましたとだけ言って了解してくれた。
『それでは寛人さん』
突然幸せの終わりが来る。
『お休みなさい、寛人さん』
だけど終わりまで幸せで、笑みがこぼれずに居られない。
「お休みなさい、向井さん」
翌日迎えに来た移動車のワゴンの一番後ろの席に横になる。
「何か召し上がりました?」
半分寝ながら首を振る。
「なら召し上がりますか?何処か寄りますので」
もう一度同じく首を振ると、食べないと倒れますよと言って額を撫でられた。
心臓がはね眠気が吹っ飛ぶ。
ふと合ってしまった視線。
一気に思い起こす昨晩の電話。
もしや自分はとんでもなく恥ずかしい事ばかり言って、しかも困らせてしまったのでは。
今更になって様々な感情がわき、同時に顔が熱くなる。
向井さんはそれを見て口の端を上げ、コンビニに寄るよう運転手に声をかけた。
もごもごとコンビニのハンバーガーを頬張るのを見て静かに吹き出したのは彼だ。
「貴方はまた……ソース付いてますよ」
ハンカチをスーツのポケットから取り出して口元を拭い、他で食べる時に見られたらどうするんですかと叱る。
「見られてる時はちゃんとしてるからいいんだよ」
今はまったく見られてる意識が無い状態だからちょっとくらい見逃してくれたって。
するといきなり恐さを感じる低いトーンで呟く。
「口答え、ですか」
何かのスイッチを押してしまったらしい。
マネージャーの顔はすっ飛び、キラリとあの意地悪な目になる。
「悪い子だ」
咀嚼したハンバーガーをごくりと飲み込み、内心びくびくと怯えながら視線を外せずに固まる。
「電話、どうします?」
これは明らかな脅しだ。
問い掛ける形を取ってはいるが有無を言わせぬ空気を放っているじゃないか。
そうなったらもう反抗出来ないのを知ってるから既に勝ったかの様に笑える。
「悪かった、です」
満足そうに笑った向井さんにうまく泳がされている気がする。
けれどそれが向井さんだけのものみたいで、嬉しく思える部分も否定しきれない。
自分にそんな一面があった事に驚きを感じつつ、つい照れながらちらちらと見てしまう自分が気持ち悪いとも思う。
やっぱり可愛いなんてのは嘘に決まってる。
「素直なのと可愛いのに免じて、おっしゃられた通りお電話は毎晩入れさせていただきますよ」
今のセリフで色んな単語に引っ掛かったが、取り敢えず一番は『毎晩』?
目を丸くしているとお決まりの意地悪そうな笑みを浮かべ、細長い指がスッと頬を撫でていった。
意地悪なマネージャーに翻弄され心臓はいつまでもバクバクと鳴っていた。
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