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Lovely Prince

何を言いたくて、何を求めて来たのかわからずに、千草はただ京の前で立ち尽くした。
沈黙に耐えられず、口から出たのは謝罪だ。

「…………ごめん。やっぱり、何でもない……」

寝られなくても、とりあえず部屋に戻って横になろうと踵を返す。が、その腕を掴まれた。

「寝られないの?」

千草はうつむいたまま、小さく頷く。

「パニックになるかもしれないのが怖い?」

察しているだろうとは思っていたが、はっきりと言葉にされると胸にどんよりと重いものが生じる。
それは恐らく不安や恐怖で、ここ数日ずっと千草が無視しようとしてきたものだ。
外部からもたらされるものなら遮断して簡単に排除できるが、自分の中から生じるものを無視し続けるのは難しい。

「……っ」

訳もわからずに涙が出て動揺しているのに、そんな千草を京は冷静に抱き寄せる。

「大丈夫。俺が居るから」
「うん…っ」

そばに居るという言葉で、不思議と安心感がわいてくる。その頼もしい胸にもたれ、あたたかな腕に包まれて、ほぅっと安堵の息をもらす。

「ねぇ。今日……」

声も、仕草も。甘えていると自覚しても、それを抑えることができない。

「一緒に、寝ていい…… ?」

大きな手がするりと背を撫で、穏やかな低音が響く。

「うん、いいよ。おいで」

どんよりと重く暗い冷気が心を満たして、息苦しくなっていく。そんな凍りついた心を優しく照らし、温かく解きほぐしていくのが京だ。
その心地いい腕の中で、ゆったりと呼吸を繰り返す。
彼が居れば安全だと思うのは、彼に救われた経験の積み重ねがあるからだ。
やがてすべてが温められ、胸が幸福で満たされる。
そうして静かに実感するのだ。彼への愛しさがそうさせるのだと。



どんなに親しいといっても、誠や里久や黒川はどこか沈んだ様子の千草に安易に踏み込もうとはしない。
絶妙なバランスで保たれている心の平穏を、むやみに触れて壊してはまずいと察しているように。
するとしたら、張り巡らされた硬質なバリアの表層を、そっと撫でてうかがう程度の事だ。
傷ついた心に直接触れて癒すことができるのは、京だけだとわかっているのだろう。

休日の朝の食堂は、いつもより人が少ない。
何にする?という京の問いに、千草は首を振るだけで答えた。

「じゃあ、りんごだけ。ね?」

京は自分のトレイからデザートの器を差し出した。
千草はこくりと頷いて、言われた通りにそれだけを手に席につく。

しゃくしゃくと音を立てる無表情な横顔を見ては、京の目が優しく細められるのを友人達は静かに見守る。
千草はりんご二切れをたいらげると、親に褒められるのを期待する子供の様にじっと視線を送る。すると京はにこりと微笑んで、するりと白い頬を撫でた。
その無言のやりとりに、友人達はどうにも閉口させられるのだ。


千草は長い休みに一時帰宅した事はないが、一真さんが帰国した際に街へ外出した事はある。そういった時に成長にあわせて私服を買っているのだが、高校生になってからは彼が着なくなった服をお下がりで貰うようにもなった。
体格が違うので千草には少し大きめだが、そうと言われなければわからないあたり送る時に彼が選別しているのだろうと察せられる。

襟が大きく開いた服は、千草の細い首筋や鎖骨、透明感のある肌がよく際立つ。サイズ感もデザインも、千草のスタイルを引き立たせるものだ。
これを選んだのは一真さんで、千草にはいささか抵抗があったのだが、「君の魅力が輝くものがいい」という意見を受け入れた。母親似の綺麗な容貌をより魅力的に見せたいという、親バカならぬ叔父バカな発想だ。
千草は警戒心が強いし聡い子だから、軽薄な誘惑があっても見抜いて遠ざけられると信用されているようだ。その上、そばにはいつもボディーガードの京が居ると安心している。
なのに二度も危ない事があったと知れば落胆するだろうかと、千草は少し憂鬱になる。

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あきゅろす。
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