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Lovely Prince

うるさいと言いたげに千草が手を伸ばして京の口をふさぐ素振りを見せると、ふはっと吹き出して破顔する。

その自然な表情に、周囲は興味深げに隠れて見入った。
中々見せる事がないその姿は相手が千草だから表れるものだと感じられたし、逆に千草も相手が京だからこそ心を許し、会話をして感情を表すのだと感じられた。
実際に恋愛関係にあるかは本人達にしか知れないが、二人が特別な関係だというのは周知の事実だ。



放課後、部活の様子を見たいと言った里久に付き添って誠は二人で体育館へ行った。
助っ人なんて初めてじゃないし、わざわざ行く事でもないと思った千草は一人で帰る事にした。
ただ、もしも京が一緒だったら決して一人にはさせなかっただろう。
しかし今は、その京の不在により一人になる状況に陥っていた。

「新海さん」

教室を出て階段に差し掛かった時、不意に背後から話し掛けられて千草は足を止めた。
肩に触れられ、反射的に振り払う様にして身を引いた。
振り返ると目の前には微笑を浮かべた生徒が居た。制服を着崩した、見知らぬ顔だ。
千草は黙ってその顔を見上げ、相手が話すのを待った。
千草が返事もしないとわかると、相手は気にせず話を進める。

「えっと、実はすごく大事な話があって。ここじゃなんなんで、違う所で……」

承知する前に手首を掴まれ、びっくりして手を引くが今度は振り払えそうにない。

「ちょっ…!」

抵抗する間も無くぐんぐん引っ張られ、気付けば空き教室に押し込まれてしまっていた。

「ちょっと引っ張っただけなのに、赤くなってますね。手首」

指摘されて見ると、さっきまで掴まれていた左手首が赤くなっていた。

「色が白いから、目立つんですね」

彼は何故かそれを嬉しそうに語る。
そこにざわりと不安を覚え、思わず後退る。
危機感。恐怖。
本能からくる警告の様なその感覚は、従うべきだとよくわかっている。

逃げなければ。

千草の中で意思が明確になったその瞬間、彼は突然掴みかかって千草を壁に押し付けた。

遠くから金属音の様な、甲高い音が近づいてくる。違う。耳鳴りだ。と気付く頃には、頭を揺すられているのかと思うくらいぐらぐらと視界が揺れだしていた。

「ずっと、こうして触れてみたかったんです」

頬に手がのび、千草は恐怖で目を見開く。

「いつもあの人達に守られてて近付けないから、一人で居るのを見たら声をかけずに居られなくて……」

わかっている。
逃げなければ。
逃げなければならないのは、理解している。
けれど体が凍りついてちっとも言う事を聞かない。

「何か喋って下さい。せっかくこんなに近くに居るのに」

間近で怯える様を見て察しているはずなのに、相手にそんな事をおもんばかる優しさは見えない。
じゃなきゃ、そもそもこんな手段には出ていないのだろう。

「わかってますよね?誰もがあなたに一度はこうしたいと願ってる」

意味がわからなくて、千草はゆるゆると首を振った。
目の前の男に一瞬ダブって見えた人物は、顔がぼやけてはっきりと見えない。それはきっと、曖昧な記憶の中にあるのだろう。

「俺はあなたに、こうしてあなたを想う人間がたくさん居るんだって知ってほしいんです」

壁に両手を縫い付けられ、喉は恐怖に塞がれてうまく呼吸ができない。

「ズルいですよ…!京以外、視界に入れる価値もないんですか!?」

荒らげる声が怖くて耳を塞いでしまいたいのに、両手を動かさせてはくれない。
京なら冗談でもこんな暴力的な事はしない。
ゆらりと視界が熱く潤んで、浅い呼吸が震える。

「みさと…っ」

その瞬間、拘束がゆるんだのを感じると、考える前に咄嗟に体が動いた。

教室を飛び出す時に肩を強くぶつけた。
ちょうど帰る人の波にうまく紛れてくれた事を願う。
一階に降り廊下を抜ける間に、何人とぶつかったのかわからない。
思考はただ真っ白で、本能がひとつ“逃げろ”と訴えている。
振り返ればまだ追いかけて来ている気がして、前だけを見て急ぐ。
心臓がどくどく鳴って、嫌な記憶がフラッシュバックする。
自分がうまく呼吸できているのかもわからない。

逃げなければ。
早く、逃げなければ。

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