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Lovely Prince

この日、千草は登校してまずは安堵した。靴箱に手紙がない。けれど、そんな些細な安心感はすぐさま吹き飛んだ。
掲示板に群がる集団が、千草が現れると静まり返った。
千草は目を丸くして、一体何が起きているのかと困惑した。
その中で動いたのは京で、人混みに分け入ると張り紙を乱暴にむしりとった。
握り潰してしまったのでどんな内容かはわからなかったが、それが新聞の記事だというのはわかった。

「行こう」

千草はただ黙って、手を引かれるまま京についていく。
体の奥から、ぞわぞわと冷たく恐ろしいものが溢れ出て、徐々に千草の身を包んでいく。

調べれば誰でも簡単にわかる事だというのは理解していた。ただ、そのきっかけさえ捕まれなければ知られる事はないとも思っていた。
例え知る者が居たとしても、実害が無ければ関係ない。知らぬところでどう思われようと、千草は痛くも痒くもないのだ。
だがまさか、ここまで大々的に暴露される事まで想像していなかった。そこまでの悪意を持たれるとは思わなかったのだ。良くも悪くも、そこまで強い関心を持たれる事など。
だから、ストーカーなんて事もまるで予想外の事態だったのだ。

教室へ向かうと、ここでも廊下に人だかりができている。
不安ばかりが増す中で、騒然とする現場の中心へ踏み込んだ。
衆目を集めていたのは、千草が座るはずの席だ。
バケツいっぱいの水をひっくり返したくらい大量の赤い液体が、びっしゃりと机とイスを覆っている。
これは、幻覚か。千草は咄嗟に我が目を疑うが、視界がぐらりと揺らいで歪む。
蛇口が閉まる様に気道がぎゅうっと狭まり、途端に息苦しさに襲われる。既に雑音は遠ざかり、思考は錆びた歯車の様にぎくしゃくと動きを止める。

「……っ、は……」

浅い呼吸を繰り返し、体は懸命に空気を取り込もうとするがうまくいかない。
口に手を伸ばすのと同時にバッグが放り出され、足元にぐしゃりと落ちた。

「ぁ……っ」

息を殺さなければ。いや、違う。その必要はないはずだ。
次第に混乱して、今自分が何処に居るか意識する事が困難になっていく。

「千草」

何処からか京の硬い声が耳に入っても、それ以上の思考をする余裕はない。

「はぁ…っ」

吹き出して広がっていく鮮血が、幼い千草の全身を染める。
恐怖でぶるりと背筋が震え、指先はどんどん冷えていく。残像と現実が混同し、更に動揺を誘発する。

「は…っ、あ……」

がたがたと震えながら、その赤い“何か”が単なる水だと確かめたくて手を伸ばす。

「千草っ」

触らせまいと阻む手を避け、なおも手を伸ばす。

「千草!……千草っ!」
「や……、ぃや……」

浅く薄い呼吸の合間に発する声は弱々しい。

「千草っ、ダメだ」

がっちりと横から腕ごと捕まえられ、千草はいやいやと首を振って訴える。

「いや……。いや、おねがい」

血ではないと確認できればいいのだ。それでこの悲惨な残像と現実が切り離され、わき起こる恐怖はやわらぐ。

「無理だ。無理だよ!」
「なんで……どうして?」

ぬるりと全身を覆う両親の鮮血。フローリングに流れ出す赤い色をした命。
目の前の鮮やかな赤色と重なる悲惨な光景が拭えずに、千草は絶望的な悲しみに捕らわれた。

「ふ…っ、ぅ……」

何度。
こんな思いを、いつまで繰り返さなければならないのか。

「ひっ…、ぅく」

顔を覆った千草は、京の支えでようやく立っていられた。

「……どうして。こんな……、ひどい…っ」

京の胸に顔を埋め、泣きながら抱えきれない心情を漏らす。

「千草、おいで。ここから離れよう」
「拭かなきゃ。血を、拭かないと……」

まだ手を伸ばそうとする千草に、京ははっきりと否定した。

「血じゃないっ。あれは誰の血でもない」

言葉を失い立ち尽くす学生達の中から、担任が進み出る。

「京。早くここを掃除しよう。新海は先生が保健室に」
「触るな!」

先生はハッとして、千草へと伸ばした手を止めた。

「すみません……。今は、触らないでください。俺以外だとパニックになるので」
「……っ、そうか……」

高木先生は面食らったようだが、何とか取り繕って頷いた。

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あきゅろす。
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