悪魔憑きの少年
 過去の光景を思い出しながら物思いに耽っていたらしい。ハッと気付くと、いつの間にか世界の風景が変わっていた。

 白い何かが、はらはらと天から降り注いでくる。その美しさとは裏腹に、裸足の自らの足には突き刺すような冷たさを持って降り積もり出していた。

 周りには、瓦礫が転がっている。ずっと重かった枷は全て壊れており、四肢を自由にしていた。

「やはり居たのだな! 悪魔めっ!」

 距離をとった場所にいる神父が、自分に指を差しながら叫んでいる。その後ろにはたくさんの人間がおり、一様に畏怖の眼差しを向けてきていた。
 その眼差しの群衆の中には、祖母もいた。自分の母も、父もいた。見たこともない小さな子供を抱え、両親は震えていた。

 そういえば、この前までは母が怯えつつも食事を運んでくれていたのに、それがめっきり来なくなってしまっていたのだ。お前の妹が出来たのだと、嘲笑うように放たれた祖母の言葉が思い出される。そうか、あの小さなものは妹なのだ。
 悪魔憑きでない妹は、両親にも祖母にも愛されているようだった。

 彼らの他、知らない顔もいくつもある。でも皆自分を知っているようだった。
 そんな光景を見つめ、神父の後ろに立ち並ぶ群衆からの小さな悲鳴と罵声を浴びる。そうしていると、そうだ、と意識が覚醒してきた。

 自分の中には悪魔が居るのだ。その悪魔が少しずつ大きくなるのを、ずっと感じていた。その悪魔が、ついに自分の中から溢れだしたのだ。

 溢れ出た悪魔は意図も容易く自分を閉じ込めていた窓もない塔を破壊し、自らを拘束していた鎖すら絶ち切ってしまった。
 やっぱり、神父様の言う通り、自分の中には悪魔が居たのだ。

「あははっ」

 それに気付き、口から笑い声が零れた。生きてきた中で、初めて上げた笑い声。

「ひゃはははははははははは」

 幼子の笑い声とは思えないそれに、村人達が皆一様にすくんだ。

「悪魔憑きの少年…。やはりキミは危険のようだ」

 その様子を見守っていた神父の、凜とした瞳が向けられる。

(…少、年……?)

 その言葉を聞いたとき、リーフェアルトはハッとして意識を取り戻した。

 違う、これは自分ではない。自分だと思っていたが、違うのだ。

 その時、初めて気付く。自分は、幼い少年の中に居た。

 意識が混濁して、自分だと思い込んでいた。しかし、自分じゃない。そう認識すると、彼女の意識は少年から剥がれ出た。抵抗も出来ずに、背中から何かが引き剥がされるような感覚に襲われ、体から弾き出される。

 その時目に写ったのは、酷く痩せ、ぼろ雑巾のように惨めな少年の姿だった。
 骨と皮しかないような体で、それでも瞳だけギョロつかせて笑みを浮かべる。ああ…、この顔を知っている…──

 先程まで対峙していた瞳と同じ狂気を宿した瞳が、神父を睨んでいた。神父は十字架を掲げると、空いた手に開いた聖書を構える。

「今からお前を退治する」

 神父はそう言うと、高々と十字架を掲げながら祈りの言葉を唱え出した。悪魔付きの少年はそれを見つめたまま、ニヤリと笑みを広げる。

「あははははっ!」

 子供が発する、邪気を感じない笑い声。同時に、彼の体から魔力が溢れ、色を持ち出した。

 それは先程自分に飛び掛かり、恐怖を植え付けた黒いなにか。それが次々に生まれ、不安定な体を白い雪の降る世界に遊ばせた。

 それを見て、村人達は次々に悲鳴を上げる。神父もそれには驚愕したのか、祈りの言葉を紡ぐのをピタリと止めてしまった。

「…っ主よ。彼の者にも平等たる安らかな眠りを授けたまえ──」

 だが、すぐに正気に戻ったのか、続きを紡ぎだす。それでも、彼が握る十字架は震えていた。

 リーフェアルトは気付く。これは、恐らくピゼットの記憶だ。彼が生んだ魔力に取り込まれ、この異様な黒いものを生んだときの記憶が甦っているのだ。それが、自分の意識と混じってしまって、過去を再生させているのだと気付く。

 だが止まることなく再生され続けるその光景に、呼吸が出来なくなってしまった。黒いものたちは祈りを紡ぐ神父に飛び掛かると、彼の体をその不安定な手で押さえ付け、地に押し倒した。

 神父の悲鳴が響く中、黒いものが神父の体へと飛び込んでいく。恐らく、ピゼットの狂気が魔力として体に侵入しているのだ。

 他人の魔力など、人体には害でしかない。その魔力が、術者の狂気を帯びて体内に侵入しているのだ。魔力は体を内側から蝕み、黒いものに埋もれる神父の体から溢れたのであろう血液が、白い雪を濡らしていった。

 村人達はいよいよパニックになって悲鳴を上げながら逃げ惑う。ピゼットはその光景を見ながら、楽しそうに笑った。

(違う……)

 だが、リーフェアルトはその笑顔に恐怖以外の感情を抱く。違うのだ。彼の意識と混ざったことで、彼女には彼の心が覗けてしまった。その狂喜に潜む悲嘆と恐怖を。

「違うわっ! 貴方はっ」

 思わず叫んだ。それと同時に、一気に体が引っ張られる。その瞬間に、大量の情報と映像が、彼女の脳裏を駆け巡った。

 体が壊れてしまいそうな情報に悲鳴を上げる。すると一気に意識が体へと引き戻され、視界が真っ黒と斑色の目に染め上げられた。

 荒い呼吸をしながらハッとして見つめていると、目の前に居た何匹かがスッと横に退いて、視界が急にクリアになる。

 眩しくらいの太陽光の中に、狂気に笑んだピゼットの姿があった。刀を振り上げた彼は、躊躇いもなく自分を切り裂こうと瞳をぎらつかせる。

 それでも、彼女の心に恐怖はなかった。

 伝えなければいけないことがあった。それだけで、本当は彼はこんな風になることはなかったんだ。その思いが、何よりも先だって体が動く。

「違うのっ! 貴方の中に、もともと悪魔なんていなかったんだっ!」

 降り下ろされた刀には目も向けず、狂気に満ちた瞳を見つめて叫ぶ。恐怖からではない涙を溢し、彼に届けと願いながら声を放った。

 だが、もう彼にはなにも聞こえない。その事を、叫び終えたと同時に走った胸の痛みで理解した。

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