導かれない答え
静かになった森を抜けようかとシルハが足を踏み出した時、不意にタピスの手がシルハの右手を取る。シルハは突然のことに驚いた顔をしたが、タピスは眉間にしわを寄せて自分の胸の位置まで上げたシルハの右手首を睨み付けていた。
「シルハ…魔法(マジック)バングルはどうした?」
タピスの深紅の眼が、手首から動いて自分の双眸とかち合う。あるはずの物がない不信感に染まり、真っ直ぐ見据えられた真っ赤な瞳にシルハはドキリとして冷や汗が頬を伝った。一瞬にして体が冷え切り、また熱を取り戻して汗が流れ出す。そんなシルハを射抜くような視線に耐えかねて、シルハは瞳を泳がせた。
「あの…その……」
「俺が言ったこと…覚えてるか?」
「……はい」
忘れはしない。
タピスに初めて修行をつけてもらった日にこの魔法バングルを受取り、彼にこう言われたのだ。「決して外すな」と。
今ならその意味が痛いほど理解できる。半分でやっと魔力制御が効いていたのに、急に倍にふくれあがって、何とも言えない恐怖が身を支配した。
内側からあふれ出す感覚について行けなくて怖くて息が出来なくなった。初めて付けた夜は、急に魔力量が減ってしばらく気怠さがとれなかったが、慣れてしまえば何の問題もなかったし、減った魔力は確かにコントロールし易かった。実力に伴わない魔力を振り回すより、制御して順々に修行を積んで正解だったと思う。
それが急に外されたことで溢れた魔力。昔よりも自分の魔力量や流れの不調さが怖いほどわかった。よく昔はあれで平然としていた物だと感心し、呆れるほどに。
「なんで無いんだ?」
タピスはまた右手首に視線を落とす。伏せられたような瞳の長い睫毛がシルハの目に映った。
「こ…壊されました……戦闘中に……」
別に自分は言いつけに背く気があったわけではなかった。言われたとおり、今まで一度たりとも外したことはない。ただ呪を食らい掛けた時に皮膚と一緒に剥がれ落ちてしまったのだ。
シルハの所々爛れたように肉が見える腕を見つめながら、タピスは何となく納得したように瞬きをした。タピスの表情を見てホッとする。故意であったわけでなくても、言いつけに背いたことは変わらないから、またあの冷たい音程の声を放たれるのではと怯えたのだ。
「で、体の調子は?」
タピスは伏せ気味になった顔を持ち上げ、掴んだシルハの手を放すとシルハと目線を交える。シルハはちょっと顔を上に向けて考えるように空を見上げた。それからタピスの方に顔を向け直して、ゆっくり首を横に振る。
「最初は息が出来なくて死ぬかと思いましたけど、今は大丈夫です」
やはり体に怠さは残るものの、ラクシミリアの呪をはじき飛ばした時と、ヴィクナの魔法を相殺した時に魔力を大量消費したせいか今は大分楽に立っていることが出来る。「そうか」と少し安心したように目を細めたタピスを見ながらシルハはそんなことを考えて、ハタリと思考が停止した。
「……あれ?」
「ん?」
急に目を開いて間抜け面をするシルハにタピスは珍生物でも見るような顔で首を傾げる。だがシルハは自分がそんな顔で見られているにもかかわらず間抜け面を続けていた。
「俺…」
「は?」
シルハは何かをタピスに訴えようと口を開くも、先程みたいに開閉を繰り返すだげで声にならない。いや、よく耳を澄ませれば小さくシルハの声が空気を振動させて音をタピスの耳に伝えてくる。だが今の位置では聞き取ることが出来ずにシルハの口元に耳を近づけるようにして少し前屈みになった。
「隊長の魔法…消しちゃいました……」
あの時は必死だったから、その重大さに気づいていなかった。それは組織的にウィクレッタの妨害をバーサーカーがしたという事じゃない。それも重大だが、そこにはさっきの頭でも考えることが出来ていた。今気づいた重大さはそこじゃなくて。
シルハの言葉を聞いて目を見開いたタピスの様子を見ると、タピスもシルハが今気づいた重大な事実を理解したようだ。
「お前…残り魔力は…?」
「まだ…戦えるくらいはあります」
まだ任務を続けても差し支えなさそうな状況である。その事実にシルハは固まっていた。
ラクシミリアの呪を跳ね返して
ヴィクナの魔法を打ち消して
それでも自分は平然と立っている。シルハは自分の手を胸の位置まで挙げて、掌を見つめた。タピスはただ黙ってシルハを見ている。しばらく沈黙が流れた。タピスが何を考えているのかがわからず、シルハは不安な気持ちに駆られる。
ラクシミリアの呪を跳ね返して
ヴィクナの魔法を打ち消して
それでも自分は平然と立っている。
だからどうしたと言われればそれまでな気もするが、1バーサーカーごときが隊長の最大の魔法を打ち消してしまったというのは、誰でも驚愕に値する事実なのだ。現に、タピスはそのことに驚いて目を見開いた。
だが今は切れ長だが大きな目を細めてシルハを見つめるのみで、シルハはどうしていいかわからなくなった。
「シルハ」
シルハが戸惑いを隠しきれずに不安そうに眉を下げると、タピスが小さく口を開く。だが静寂を取り戻した森の中では、小さな口の開閉でもシルハの耳にはハッキリ届いた。直ぐさまタピスの目を見つめる。どうすればいいか答えてくれそうな真っ直ぐな瞳を見ながら、シルハは続く言葉を待った。
「この話は後だ。魔力が残っているなら任務を続行しろ」
だがタピスからは導きの文句は出てこない。少し失望したような色がシルハの瞳に映ったが、それを知ってか知らずか、タピスは突き放すようにシルハから目をそらした。そんな問題の解は与えない。そう宣言されたようで、シルハは諦めて目を伏せる。不安がぬぐえない。ヴィクナは、このことをどう受け止めているのであろうか?
一気に気が沈むのがわかった。どす黒い何かが自分に巻き付いたように、シルハの心は沈み、体がずんと重くなった。
タピスは歩き出すがシルハはなかなか前に踏み出せない。少し2人の間に距離が開くと、タピスは眉間にしわを寄せながら振り返った。
「抜けるぞ」
タピスは一言そう言うと、もう振り返ることもなくスタスタと出口に向かって歩いていってしまう。シルハは少し立ちつくした後に、横で口を挟むことなくおとなしく会話を聞いていたマーダの手を引いてタピスの後を追いかけた。

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