堕ちし女
イーディテルア…貴方は悪い夢を見たのよ…
家に帰りましょう…ベッドに横になって寝るの。
目が覚めればこの紋章は消えてる
あの呪いなんて嘘…
絶対…嘘……だよね…?
イーディテルアは風に煽られ、長い髪がグシャグシャになるのも気にせずに、一心不乱に走った。
森を抜けるとすぐ村に入れる。イーディテルアは村の敷居に入っても速度を緩めず、自分の家の中に駆け込んだ。
「あら、イーディアおかえりなさい。どうしたの?そんなに慌てて」
イーディテルアの母親は、危機迫る様子で飛込んできたイーディテルアを不思議そうに見た。
イーディア
それはイーディテルアの愛称である。本名はもちろん、今日初めて出会った少女が知っているのはおかしいのだ。
「な…んでも…ないの……。少、し…寝るわ」
息が切れ、ブツギリに話ながら、イーディテルアはカラの籠をテーブルに置いて自分の部屋に向かう。
「イーディア、あなたサクランの実は?」
「煩い…わね!」
イーディテルアは母の問いに怒鳴り声で返す。母は困惑した顔をしたが、イーディテルアはそのまま自部屋へと向かった。
寝るのよイーディテルア…!悪夢から覚めるの…
イーディテルアは汗で体がベタベタなのも気にせずベッドに潜り込む。布団が肌に張り付いて気持悪い。これも悪夢だと言い聞かせ、イーディテルアは眠りに堕ちた。

目が覚めると既に日は傾いていた。
「…お腹減ったわ……」
イーディテルアは身を起こし、眠そうに目を擦る。
腹は空腹を訴え、妙な虚無感が気持悪い。
イーディテルアは、その時右掌を見た。いや、見えてしまった。
「いやぁぁぁぁあああ」
暗がりだがはっきり見える黒く刻まれた紋章。イーディテルアは目に停めると同時に、自分の掌を見つめながら悲鳴を上げた。
「嘘よ嘘よ嘘よ!!夢だわ…これだって…夢だわ…」
イーディテルアは頭を抱えながらベッドの上にうなだれる。目頭がカーッと熱くなって視界が滲んだ。
「イーディア?どうしたの??」
イーディテルアの悲鳴を聞き、母が心配そうに部屋を覗き込んだ。
「なんでもないわ…!」
イーディテルアは溢れそうになる涙を拭い、母に答える。まだ希望は捨ててはいけない。
「ママ!お腹減ったわ!」
イーディテルアはベッドから身を起こすと、母に空腹を訴える。これでこの空腹が満たされればイーディテルアは呪われてなどいない証拠だ。
「もう出来てるわよ、いらっしゃい」
母はにっこりと微笑むと台所へと向かう。イーディテルアも母の後に付いて部屋を出た。
「美味しそう!」
テーブルの上に並ぶ料理を見て、イーディテルアは頬を紅潮させる。母は嬉しそうに微笑むと、イーディテルアの方を叩いた。
「今日は貴方の好物ばかりでしょ?たんとお食べ」
「ありがとうママ!」
イーディテルアは美しく微笑むと席に着き口に食べ物を運ぶ。しかし、口に入れた瞬間に、彼女の顔から笑みが消えた。
「どうしたの??イーディア」
母は怪訝そうにイーディテルアに尋ねる。
「な、なんでも!美味しいわ」
イーディテルアは慌てて口に食事を運んでいった。
なんで…
イーディテルアはその際も考えを巡らす。
味が…しない…
いくら食べても…満たされない…
水を飲んでも何かが喉を流れるだけで乾きは潤わない。
イーディテルアは絶望した。そう、それは呪いのせいだと分かったからである。
無味
それは想像以上に虚しく、空腹の癒えぬ体に更に虚無感を与えた。
ガタン――
イーディテルアは突然フォークを叩き付ける様にテーブルに手を打ち付け、立ち上がる。
「イ…イーディア?」
異様な様子で突然立ち上がったイーディテルアに、母は驚きながら顔を覗いた。
だが、イーディテルアは母に顔を見られる前に外へと駆け出す。
「イーディア?どうしたの!?戻りなさい!イーディア!!」
母の声を背に、振り替えることなくイーディテルアは夜の闇に姿を溶かす。
イーディテルアは必死に走った。この虚無感をどうすればいいか分からずがむしゃらに走る。途中川に道を遮られ、イーディテルアは川淵に崩れるように倒れ込み、足をとめた。
イーディテルアはふと川に映る自分の顔を見た。
それは美しいなどとはとても言えない。ラクシミリアへの憎悪、呪への不安と恐怖で顔を引きつらせ、惨めな娘が映っているだけだった。
「こんなの私じゃない…!」
イーディテルアは水面を手で弾くと、突っ伏して泣き出した。なんて最悪な日なのだろうか。
絶望の中で、無駄に空腹と言う虚無感が彼女の心を蝕んだ。
「…イーディテルア?」
突然自分を呼ぶ声に、イーディテルアは顔を上げた。
「やっぱり…。どうしたの…こんなところで…?」
「グラルド…」
イーディテルアを呼んだ人間はグラルドと言う村の青年だった。数多くのイーディテルアに熱を上げている村人の内の一人である。
容姿は中の下。がっちりした体格で気さくな男だが、結局は「好い人」で終わるタイプの人間だった。
普段のイーディテルアならこんな男に構いはしない。美しい自分には似つかわしくないと思っているからだ。
だが、この時のイーディテルアは言いしれぬ虚無感と無情感で、とりあえず何かにすがりつきたかった。
「グラルド…!」
イーディテルアはグラルドの胸に飛込む。
「イ、イーディテルア!?」
普段は口も聞いてくれない様な彼女が自ら自分の胸に飛込んで来たのに驚き、うろたえた。
しかし、グラルドはこれを好機にとイーディテルアを抱き締める。
イーディテルアはと言うと、グラルドの胸に飛込んだときに気付いた。
今まで感じたことのない、ただ魅力溢れるエネルギー。
それは魔力の流れ。グラルドの体内を流れる微々たる魔力の流れを感じ、イーディテルアは全身に電撃が走ったようになった。
欲しい…
イーディテルアはバクバクと激しく脈打つ心音を頭に響かせながら思考が停止した。何かがイーディテルアに語り掛ける。食らえ――と。
途端に右掌の紋章が熱く熱を持ち出した。
「グラルド…」
イーディテルアは顔を上げ、上目使いでグラルドを見つめる。グラルドは、そんなイーディテルアの様子に駆られ、イーディテルアの唇に自分の唇を重ねた。
ずずずずず――
その時、イーディテルアの体は魔力を求め、嫌な音を立てて無意識にグラルドの魔力を口から吸い取る。
空っぽになったイーディテルアに全ての魔力を奪われたグラルドは虚しく地に伏した。
逆にイーディテルアは空っぽになった自らの体にグラルドの魔力が駆け巡る。何をしても満たされなかった体に充満した魔力が、虚無感を露にしていた空腹を満たしていく。
「あぁああぁ…」
イーディテルアは歓喜に体を震わせた。満ちた魔力が更にイーディテルアを美しくし、夜なのに輝かせて魅せる。イーディテルアは水面にまた自分を映し、満足気に微笑んだ。
魔力を食べれば…私は更に美しくなる…。
イーディテルアは村を見つめ、ペロリと下で柔らかい唇を舐めた。
この時、イーディテルアは魔女になり下がったのである。


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