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Marijuana




「オレもあの後に、多分キミのことを探してた奴に会ったんだ」
「…っ!」
 予想外のトキの言葉に、ファナは息を詰めた。ゼンも、鋭い目でトキに視線を向ける。ナズナは、明らかに戸惑いの色を浮かべて口を噤む。
 戸惑いを隠せずに黙ったまま彼を見つめていると、トキが頭をかきながら「うーん」と小さく唸った。
「ゼンの話を聞いてる限りじゃ、ゼンたちが会った人間とはまた違った人種なんだと思うけど…。なーんか気味の悪い男だった」
 カツン、とフォークが肉を貫く。
「昼間の人間や、オレの会った人間。…キミが逃げてきた所と、関係ある?」
「………」
 再び俯いたファナに、全員の視線が集まった。トキの訝しげな視線に、ナズナの心配そうな視線、そして、ゼンの戸惑った様な視線。
 しかし、今度の沈黙は拒絶や黙秘の沈黙ではない。考えるための沈黙だ。続きを急かす事はせず、三人は黙ってファナを見つめる。
 暫くして、
「…恐らくは…、関係があると思います」
 ファナは小さく頷いた。
 一瞬口を噤み、ためらった表情で唇を動かし始める。
「逃げる途中、何度もそう言った人を見ていましたから…」
「今こそ、聞いても良いかな?キミが何処から逃げて来たのか」
「……」
「それで、これからのオレたちの覚悟もつく」
 その時、再びファナの唇が閉ざされた。かつてトキと交わした会話を思い出す。
『いつか、キミの過去について聞く時が来る。嫌な記憶かも知れないけど、きちんと話してくれる?』
 あの時、確かに自分は頷いた。来たる不幸に彼らを巻き込まないために、彼女自身覚悟を決めたつもりだった。
「……っ」
 だが、共に暮らす内に、心が揺らいでしまった。俯いて、唇を噛む。
『うん。良かった』
 頭に浮かんだのは、彼女の言葉を信じて固く頷いた、トキの表情だった。
「私は、…ルミーユという家から逃げて来ました…」
 俯いたファナの唇から、小さな声が漏れた。
「ルミーユ…?」
 鸚鵡返しに尋ねるゼンの横で、トキが座れる椅子が激しい音を立てる。トキが立ち上がったからだ。
「本当なのか!?」
「…はい…。会話で、何度もそう呼ばれているのを聞いていました…」
「…ヤバいぞ…」
 その目は不安と焦燥に駆られてか、険しくなっている。理由の解るファナは、ただ一人、何かに耐える様にまた俯いた。
 ナズナがトキを見上げる。
「知ってるの?」
「知ってるも何もっ。富豪じゃないか!情報屋をやっていたら誰でも知ってる。アイツらのやってる裏の仕事なんて、死ぬ程危険なことばっかりだぞ!?」
「そんな奴が、ファナを…」
 嫌な予感が頭を過ぎる事を止められない。震える唇を叱咤して、ゼンは声を発する。それでも、拭い切れない不安は明らかに声音に現われていた。
「その男に、俺たちのことはもう話したのか?」
「いや。うさん臭かったから何も言わなかったけど…」
「そうか…。助かった」
「けど、…」
 しかし、ゼンの吐き出した安堵の息を、トキの声が遮った。大切なことを忘れていないかと、うろたえた目が伝えてくる。
「けど、ルミーユが本物だとして、オレかゼンに接触した奴どっちかにつけられてたらどうする…?」
「………、っ!」
 瞬間、しまったとばかりに二人は顔を見合わせた。
 示し合わせた訳でも無いのに二人同時に立ち上がり、ドアへゼンが、窓の側へトキが駆け寄る。
 シン、と沈黙が耳を打った。
 窓の外から見えない様に壁へ寄り添ったまま、トキが外へと視界を巡らす。何か一つでも物音を聞き逃さない様に、ゼンが自らの呼吸すら抑えて耳を傾ける。部屋の中心では、怯えて小さくなるファナを、ナズナが抱き寄せた。
 痛い程の緊張した空気に、肺が押し潰されそうになる。
 暫くして、
「……大丈夫、だな…」
「…ああ。多分…」
 視線を交わしあい頷いた二人は、息を吐いて安堵の意を示した。しかし、緊張は解いていない。
 険しい顔付きのままのトキが、机に乗った皿を重ねながら、疲れた溜息を吐く。それでも、出来るだけ優しい声にするようにした。
「取り敢えず…今日はもう、休むか」
「………そうだな」
 トキの意図を汲んでそう頷いたゼンは、ナズナたちにも同意を得て立ち上がった。それぞれ暗い顔をしていて、疲れている風に見える。後片付けをナズナたちに任せてゼンとトキはダイニングを後にした。
 食事を始めた時にはあれ程和やかであったのに、今では重苦しい空気が辺りを取り巻いている。一歩踏み出すごとに軋む床は、今にも抜けてしまいそうな気さえした。これから、休むと言っても彼らは一睡もしないだろう。
「……」
 固く拳を握り締めたゼンの肩を、不意にトキが叩いた。
「おい、ゼン。ちょっと…」
「…?」
 小声で呼ばれ、ゼンはトキがしゃくった方を見た。着いて来いと言う意味だと理解して着いて行けば、それは寝室のある二階へ続く階段とは反対の廊下だった。洗い物を終えたナズナたちは、そことは正反対の場所を通る。つまり、今から話すことは余程聞かれたくない話なのだろうと理解出来た。
 無意識に警戒心が生まれる。そしてそれはまさに的中した。
「まさかまだ匿うつもりなのか?」
「…なに?」
 紡がれた言葉に、ゼンの眉が跳ねた。だが非難する様な目付きにも怯まず、トキは続ける。
「さっきは言わなかったけど、ルミーユは相当あの子に金を注ぎ込んでる。人間の動き方が半端じゃない」
「…確かにそうだ。だからって―――」
「オレはあの子をルミーユに引き渡した方が良いと考えてる」
「っ!?」
 何を言っているんだ。
 そう叫ぼうと口を開いたが、それはすぐにトキによって防がれた。年に何回見えるか解らない程珍しいトキの険しい目付きを、今日だけで何度見ただろうか。それだけで尋常ではない状況だと理解出来て、焦りを感じずにはいられない。今でも、手にジトリと滲んだ汗を、ズボンに擦り付けた。
 トキが続ける。
「男に会った後に調べてみたけど、ルミーユがあの子を探している事は、情報屋やネット上で明らかにされてる。…けど、大々的でなく、かつ『死の刻印』の持ち主という事は一切伏せてだ」
「なに…?」
「ここまでくれば簡単に推測出来るだろ?ルミーユの当主は、あの子の秘密を明かしたくない。明かせば、一世紀に一人しか生まれないと呼ばれている『死の刻印の持ち主』が、見つけた人間に奪われるかも知れない。つまりは、その存在を知った者は…」
 殺される。
 トキの唇が、声を発さずにそう告げた。
「………」
 予想していなかった結果では無かった。ファナを連れて帰ると告げた時から不明瞭ながら感じていた不安だ。しかし、動揺の隠せないゼンは、背筋を冷たい汗が流れるのを感じる。
「でも逆に、あの子を見放せば、オレたちは危険から逃げられる」
「は…?」
「あの子はきっと、オレたちのことを喋らない。だから――」
「っ、トキ!!お前、何言ってるのか解ってるのか!?」
「ゼンこそ解らないはずないだろう!あんな見ず知らずの子を匿って、オレたちは死ぬのかよ!?それならオレは、あんな子見捨てて、オレたちだけで――、っぅ!!」
 ガツン、と鈍い音が響いた。
 ゼンがトキを壁に押し付けた音だ。
 古びた木の壁が軋んだ音が、一瞬生まれた静寂の中で虚しく響く。
「げほっ、…っう…」
「…………」
 胸ぐらを掴まれ不規則になった呼吸に、トキは苦しげに咳き込んだ。そんな彼を、しかしゼンは気遣うどころか更に締め上げた。
「…お前の言った覚悟は、そう言う意味だったのか?」
 低く唸る様な声が、砕けそうな程噛み締められた歯の間から漏れた。目には明らかに憎しみが込められている。
「小さな女の子を独り放り出して、またつらい思いをさせようって?それでまた平和になって、俺たちが今までみたいに暮らせるとでも?」
「……」
「俺たちが困ってる時に一番に声をかけてくれたのは、お前だっただろう、トキ!?」
 ゼンが、怒りとも悲しむともつかない声を絞り出す。怒鳴る度に揺れるトキの顔から表情は伺えない。やがてゼンが言葉を切った時、唇を開いた。
「あの子はゼンの妹じゃない…」
 長い前髪の向こうから、虚ろな瞳が覗く。
「…分かってる!」
「ゼンは、…分かってないよ…」
 しかし我を失い怒鳴り散らすゼンを睨み付けるどころか、その瞳を今にも泣きそうな程歪めてしまった。
「ちっとも分かってないよ…」
 震える声が、床板を叩く。
 その時、一つの足音が二人の耳に届いた。視線の先には、ナズナとファナが佇んでいた。





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