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放課後の時間
遠理 2


 口下手な青陽は、いつも音楽を聴いていた。
 イヤホンを耳に差し込んでおけば無理に皆の会話に入る必要がないからと、とっておきの内緒話を耳打ちする時の子供のように声を潜められてから、俺は青陽のイヤホンの片方を取り上げて自分の耳にはめ、一緒に音楽を聴いた。
 青陽のお気に入りは、物悲しげなメロディーラインに激しい伴奏をぶつける楽曲が特徴の、デビュー二年目の日本のロックバンドだった。
 小型の音楽プレーヤーを胸ポケットに入れた青陽からうっかり距離を取ると、片耳のイヤホンが引っ張られて抜けてしまう。青陽の腕に自分の腕をくっつけて横に並び、曲に耳を傾けるのが、いつの間にか習慣になっていた。
 梅雨に入って三日降り続いた雨が止み、朝から遠慮のない日差しが照りつけ気温がぐんぐん上がって、今年初めて真夏日になった日だった。
 学校帰りに入ったハンバーガー屋の中は冷房が効きすぎていて、隣に座った青陽の高い体温が半袖の制服からむき出しの俺の肌に触れ、ひどく心地良かった。
 いつものように片耳にイヤホンをはめ、ボーカルのハスキーな声に聴き入りながら俯いていた俺は、目の前が急に翳ったことに気づいた。
 不審に思い顔を上げると、こちらに上半身を捻った青陽が、触れているのとは反対側の俺の腕を持ち上げたところだった。
「――」
 青陽が俺に向かって何事か言ったが、よく聞こえない。
 なに? と訊き返そうとした時、ハンバーガーを握っている俺の手のひらから、ツーっとソースが垂れた。
 手を引っ込める間もなかった。
 青陽が俺の肘先に唇をあて、手首から伝い落ちてくる茶色い液体を待ち構え、舐めとる。
 味わうようにねっとりと俺の肌を這う舌の動きをまともに見てしまい、慌てて目を逸らした先に青陽の双眸があった。
 視線がぶつかった途端、俺の下半身が反応した。
 青陽の目尻の上がったきつい眼差しに射竦められ、怖いくらいなのに、キュッと収縮した後ろから前へ、覚えのある感覚が移動する。
「んっ」
 思わず声が出た。
 それはベッドの上で組伏せられ、容赦のない愛撫に息が上がってつい口をついて出る時の、自分の喘ぎ声にそっくりだった。
 次々に声が漏れ出そうな衝動を、目と唇をぎゅっと閉じて我慢する。
「おいおい、遠理。なんて声出してんの」
 唐突に、テーブルを挟んだ向こう側から恭平に声をかけられ、俺は飛び上がらんばかりに驚いた。
 放課後は毎日青陽と二人きりなのが当たり前になっていて、部活を引退し、この時間に晴れて自由の身になった恭平と敦も一緒に店に入ったことを、うっかり失念していたんだ。
 今の青陽との一部始終を見られていたと知り、一瞬にして血の気が引いた。
 動揺しすぎて、冗談にしておどけてみせるどころか、まともに声を出すことすらできない。
 ところが恭平は、なに食わぬ顔をして続ける。
「遠理はそんじょそこらの女の子よりよっぽど可愛いんだからさ。そんな色っぽい声を聞かせてくれるんなら、青陽じゃなくたってつい構いたくなるよね。ね、敦?」
 恭平は思ったことをそのまま口にする性格だ。だから悪意があるわけじゃない。俺が母さん似の女顔なのは、自他共に認める事実だった。
「お前、そういうこと言うなよな。どんだけ可愛くたって、遠理は男だぞ。幾らうちが男子校だからって、最近の流行りに無理して乗っからなくていいんだよ。男が男に手ぇ出してどうすんだ。ふざけるにしたって、気色悪いわ。遠理に謝れよ」
 話を振られた敦が、恭平の横であからさまにムッとしたのが分かった。
「ああ、うん、そうだよね…… ごめんね、遠理」
 叱られた犬そっくりな三角眼をした恭平にみつめられ、俺は急いで首を横に振る。イヤホンはとっくに耳から抜け落ちていた。
 それきり誰も何も言おうとせず、四人掛けのテーブルの上を、店内BGMの陽気な曲が素通りしていく。
 俺は居たたまれなくなり、思い切って立ち上がった。
「お、俺、トイレで手、洗ってくる」
 ちゃんと声が出たことにほっとしながら店のトイレを借りて洗面台の蛇口を捻り、勢いよく出た水に腕を晒した。
 もう、やめよう。
 青陽に抱かれるのは、もう、やめよう。
 気色悪いと、吐き捨てるように言った敦の言葉を反芻しながら、肌が赤くなるまで強く擦った。
 水の冷たさに感覚が痺れ、青陽の舌の感触が消えてなくなるまで、俺は自分の腕を執拗に擦り続けた。

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あきゅろす。
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