感心するあまり、俺はまた隙だらけになっていたらしい。 「晴!」 低い声で名を叫ばれると同時に、身体を床に押さえつけられる。 しゃがみこむ刹那、耳元で風の唸りが聞こえた。 床に膝をついて咄嗟に見上げると、俺の頭があった場所に火烏が鋭い鉤ヅメの痕を三本つけて、飛び去るところだった。 「ギョォー!」 俺を掴み損なった魔物が、怒りの声を発する。 「護符なら、火烏を封じてから幾らでも見せてやる。言っておくが、親父のへなちょこな札と比べてくれるなよ」 同じ方向に向き直り、俺の肩を押さえてしゃがみこんだ男が後ろから言った。 「え?」 思わず振り返ろうとして。 目線がいった柱の低い位置に、二本の線が引かれているのが目に入った。 これは火烏の爪で裂かれた痕ではなく、俺が子供の頃、誰かと背比べをしてつけた傷だ。 孤児院で一緒に暮らしていた子供達は、大抵気味悪がって近づいてこようとはしなかったのに、俺の後ろをいつもついてくる男の子がひとりだけいた。 小さくて、黒い髪、黒い目の。 「火烏は俺が引きつける。後ろはあなたに任せた」 男の低い声が早口に言い、俺の肩に置かれていた手の重みが軽くなる。 あっと思った時には、男は既に柱の陰から飛び出していくところだった。 その時唐突に頭の中で、俺から離れていく彼の横顔と、黒髪の小さな面影が重なる。 そうだ、あの子だ。 柱に背をくっつけて、一緒に背比べをした子。 年上の俺の方が勿論大きくて、二本の線をみつめながら、 「あなたの背を俺が追い越したら」 と、悔しそうに言った男の子。 あの子の名前は―― 「――大志!」 記憶の奥底から手繰り寄せた名を咄嗟に呼ぶと、男の口元がフッと、緩んだように見えた。 しかし彼はそのまま止まることなく、駆け出していく。 引き止める間もなかった。 「ギー!」 隠すもののなくなった大志の背中を狙い、黒い影が後ろを追いかけていく。 「クソッ!」 あれでは連れ戻すこともできない。 ページ一覧へ |