記念の小説
発熱カプリチオ 3


 鼻息を少し荒くした祐一と、祐一の言った言葉の意味が理解できずに、不審気な顔をしている大志。
 彼らを興味深げに交互に見ていた小笠原が、そう言えばと思い出す。
「あれか、亮太の奴がヘソ出して寝てて風邪ひいた、つって鼻水出してたな。あいつの風邪がうつったかな」
「亮太先輩、風邪ひいてたんですか。それで晴さんに」
 と納得した祐一が言ったその横から、大志がぼそりと、
「……監督不行き届きだ」
 低い声を出した。
「おいおい、大志。俺に言ってくれるなよ。……まぁあれだな晴、今日はゆっくり寝てろ。そんなに熱も高くないみたいだし、ライブツアー始まる前に治さないと。もう今週の終わりだぞ」
 晴と小笠原が所属するバンド“オブシディアン”は、この地方で最近人気に火が付き始めたインディーズロックバンドだ。
 毎年ゴールデンウィークには、県内に散らばる5ヵ所のライブハウスを回るのが恒例になっていた。
 それが今年は隣の県のライブハウスからも出演依頼があり、今週末から始まる世間で黄金週間と呼ばれる長い休みの予定は、全て仕事で埋まった。
 チケットも順調に売れていき、インディーズバンドが常に頭を悩ませているチケット売りのノルマからも、初めて解放されたのだ。
 しかしその見返りとして、絶対にステージに穴を空けるわけにはいかない。
 だから小笠原の言い分はもっともなものだったのだが、それが却って大志の不満を募らせることになった。
「義光さん。最近の“オブシディアン”のスケジュールは、詰まり過ぎでは? これではハルがどれだけ体調管理に気を使っていても、意味が無い」
「だから俺に言うなって。そういうことは、事務所の社長に言ってくれ。但しこれだけは言っとくが、今日俺達に休みをくれたタカ本人は、携帯買い換えに行く暇もないだろうがな」
「でも……」
 小笠原にこれだけピシャリと跳ね返されても、まだぐずぐずと何か言い募ろうとする大志を、
「タイシ」
 と、晴が呼んだ。
 大志は自分の腕の中にすっぽり収まっている晴を、慌てて見遣る。
 と、我知らず息を呑んだ。
「あんまりオガ先輩を責めないで。先輩だって休めないのは、俺と一緒だよ? 熱なんか出した俺が悪いんだ。ほら、今年の冬は俺、風邪ひかなかっただろ? だからあったかくなって、つい油断しちゃったんだ。……ごめんね、タイシ」
 そう言って自分を見上げる晴の瞳は熱がある為にうるうると潤み、口が上手く回らないのか、プルンと膨らんだ唇から発する言葉は少し舌足らずで、まるでキスをしてくれと誘っているように見える。
「あな、あな、あなたがそう言うなら、もう言わない。……義光さん、すみません。今、お茶淹れます」
 晴をうっとりと見つめながら謝る大志に、小笠原は苦笑いを隠せない。
「あー、いい、いい。もう俺達出掛けるから。お前は思う存分、晴の看病をしてやれ」
 小笠原は行くぞ祐一と、自分の恋人の名前を呼びながら、キッチンカウンターから立ち上がった。
「えっ、待って、車…… じゃない、オガ先輩。俺も携帯ショップ行く」
 大志の腕の中から、晴は置いていかれまいと焦って小笠原の方に手を伸ばすが、
「お前はっ! ……また人の話聞いてなかったな。俺は寝てろと言った筈だ」
「そうですよ、晴さん。今日は大人しく寝ていてください。あ、薬もちゃんと飲んでくださいね」
 小笠原と祐一のふたりからダメ出しをくらい、しゅんとなって手を引っ込めるしかなかった。
「折角の休みなのに…… 俺も欲しい、春の新作」
 携帯電話のことをまるでファッション雑誌の中でモデルが着ている洋服のように言った晴だったが、帰国子女である彼は、新作とか初回版とか季節限定とか、〇個限り、今だけ、とかいう日本語に滅法弱い。
「ハル、今日はもう諦めろ」
 そのことを知っている大志は彼が抜け出ていってしまわないように、自分の腕により一層力を込めて晴を抱き締めた。




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あきゅろす。
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