記念の小説
困らせないで 2


 オレは箸を置くとハルに近づいていき、彼の頬に手を当てる。そして俯き加減になっていた顔を上向かせると、彼に言った。
「ハルの気持ちは嬉しいが、料理などしたこともないあなたに包丁を持たせるわけにはいかない。指でも切ったらどうするんだ」
「そんなの…… 絆創膏貼り付けとけば」
「駄目だ」
「じゃ、じゃあ、指切らないように、気をつけてやるから」
「駄目だ」
「どうして? いつもお前がカレー作ってるとこ見てるもん、手順は分かってる。俺だって、やればできると思うんだ」
「ハル」
 中々引き下がらないハルを前に、オレは自分でもそうと気づかず溜め息を漏らしていたらしい。
「そんな顔して溜め息つかなくてもいいだろ。俺、何か可笑しなこと言ってる?」
「そうじゃない」
 不満げな顔をしているハルを宥めるつもりで、オレは再々度、首を振った。
「あなたこそ、どうして急に友達と寄り道してこいとか、自分でカレーを作るとか言い出すんだ。……もしかすると…… 休みの日にオレが早く帰ってくると…… じゃ、邪魔だとか?」
 オレは物事を悪い方、暗い方に捉える癖がある。
 ハルの機嫌を取るつもりが、思いついてしまったマイナス方向の考えに自分自身が不安になってきてしまい、語尾が震えた。
「違うよ、タイシ。そんなわけないだろ」
 オレが物事を悪い方に考えその結果軽いパニック状態に陥るのは、子供の頃に受けた虐待に対する恐怖心が、事ある毎にフラッシュバックするからなのだが、こういう時ハルは必ず、オレの悪い考えを否定してくれる。
 それに勇気を得て、恐る恐るだが訊ねてみた。
「それなら、どうして」
「だって俺さ、お前がいないと何にもできないじゃん」
「うん?」
 訴えるようにこちらを見上げたハルの顔が余りに真摯で、その顔を見るとオレは落ち着きを取り戻し、彼の次の言葉を待つことができた。
「食事も洗濯も掃除も、全部タイシに面倒みて貰ってるだろ。俺はお前がいないと、今日どの服を着ていいのかさえ分かんないんだよ。それって、うざくない?」
「何だ、そんなこと」
 彼がどんな突飛なことを言い出すかと思えば、オレにとっては何てことはない話だったので、ホッと一息つく。
 しかし、
「『そんなこと』じゃない、大事なことだ。俺、何にもできない兄貴で、お前に呆れられてたらどうしよう。毎日学校から急いで帰ってきてご飯作るの、大変じゃない? たまには俺のことなんか放っといて、したいことあるんじゃない? 俺、お前の負担になってない?」
 矢継ぎ早に問いかけるハルの目にみるみるうちに涙が浮かんできて、オレは慌てて彼の前に跪いた。
 こうすれば、オレに涙を見せまいとすぐに下を向いてしまう彼の顔を、覗き込むことができる。
 オレは手近にあったティッシュを箱から2、3枚手早く引き抜くと、ハルの涙を拭いてやりながら言った。
「それで、自分でカレーを作るなんて言ったのか。オレに負担をかけまいとして?」
 コクリと頷くハル。
「我ながら、いい考えだと思ったんだ」
 何というか……
 とても、可愛らしい。
 彼は鼻を啜っているというのに、自分の兄に対してこんな風に思ってしまうのは、不謹慎だろうか。








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あきゅろす。
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