どれくらい眠っていたのか分からないけれど、何かが近くで動いたような気配がして、俺は目を覚ました。 「うーん、何? 誰……? わたる、兄ちゃん?」 回転数の上がらない頭と半開きの目のまま、動いた物に向かって呼びかけてみる。 てっきり心配性のわたる兄ちゃんが、会社を早退してきたんだと思ったんだ。 「悪かったな、わたる兄ちゃんじゃなくて」 俺の呼びかけには、不機嫌な声で応えがあった。 「えっ?」 聞き覚えのある、この愛らしい声は…… 「ま、前柴先輩!?」 俺は一気に目が覚めて、ガバッと布団をめくり飛び起きる。 「随分元気そうだな」 ベッド脇に、前柴先輩が大きな目を丸くして立っていた。 「嘘。どうして?」 わけが分からなくて、俺が呟いた独り言に先輩は、 「別に、勝手に家の中に入ったわけじゃないからな。中井…… お前の兄貴に、弟がひとりきりで寝込んでて心配だから、様子を見てきて欲しいって」 と、見覚えのあるストラップの付いた家の鍵を、俺の前に翳して見せてくれた。 ストラップには、あるロックバンドのグループ名のロゴが刻まれていて、かける兄ちゃんはそのバンドの熱狂的なファンだ。 今朝、かける兄ちゃんが玄関先からわたる兄ちゃんに、早く家を出るよう急かしていたのって、誰もいなくなった家に前柴先輩を来させるつもりだったからか。 そういえば、昨夜熱に浮かされていた俺は兄ちゃんに、 「前柴先輩に叱られた」 と、涙ながらに訴えたような気がする。 かける兄ちゃん、あなたって人は。 美しい兄弟愛に感動中の俺が、プルプルと震えながら何も言えずに黙っていると、先輩も黙ってペットボトルを差し出してくれる。 「あ、ありがとうございます」 俺はお礼を言って受け取ると、中身を一気に飲み干した。 先輩がくれたペットボトルのスポーツドリンクは、よく冷えていた。 「はぁ、美味しい」 思わず顔が緩む。 俺は昨日叱られたことも忘れて、彼に向かってにっこり笑いかけた。 だけどそんな俺を突っ立ったまま見下ろしていた先輩は、目が合うとパッと顔を背ける。 やっぱり昨日のこと、まだ怒ってるんだ。 しょんぼりと項垂れてしまった俺に、前柴先輩が言った。 「お前、昨日の体育の授業の時も、身体の調子良くなかったんだろ。悪かったな、気がつかなくて」 「え?」 「それが言いたかった。熱も大したことなくて良かったな。俺、昼休みを抜けてきたから、もう学校に戻るわ。心配性の兄貴には、お前は元気だったって伝えておくから。じゃあな」 それだけ一息に言うと、くるりと身を翻して部屋から出ていこうとする。 俺は慌ててベッドから身を乗り出して、先輩の手首を掴んだ。 勢い余ってズルッと布団から滑り落ちそうになったけど、カッコ悪いとか、そんなことにこだわってる場合じゃない。 手首を掴まれた先輩は、驚いた顔をして振り返った。 「先輩、もう怒ってないんですか? ……あの、すみません。それならもうちょっと。もうちょっとだけ」 俺は必死だった。 先輩をこのまま行かせてはいけないような気がしたんだ。 先輩の誤解を解かないといけない。 俺の言った付き合ってくださいっていうのは、友達や後輩としてではなく、俗にいう男女間の交際の申し込みと同じ意味なのだということを、分かってもらわなくては。 ただ、それを言葉でどう説明したらいいものか。 「えっと、あの、前柴先輩。だ、抱きしめてもいいですか?」 「はぁ?」 途端に先輩の眉間に寄る、無数の皺。 ああっ、かける兄ちゃん! 兄ちゃんが折角作ってくれた、またとないチャンスだけど。 どうやら俺は、前柴先輩に対して言わなければいけない言葉を、間違えてしまったようです……! 2010.12.24 改訂 2012.07.10 *更新が遅くて本当にすみませんm(__)m そして、5話目はこのままここからの続きでいきます。手抜きじゃないのよ、ホントだよ |