ヘタレ攻めから5のお願い
C抱きしめてもいいですか 3

 どれくらい眠っていたのか分からないけれど、何かが近くで動いたような気配がして、俺は目を覚ました。
「うーん、何? 誰……? わたる、兄ちゃん?」
 回転数の上がらない頭と半開きの目のまま、動いた物に向かって呼びかけてみる。
 てっきり心配性のわたる兄ちゃんが、会社を早退してきたんだと思ったんだ。
「悪かったな、わたる兄ちゃんじゃなくて」
 俺の呼びかけには、不機嫌な声で応えがあった。
「えっ?」
 聞き覚えのある、この愛らしい声は……
「ま、前柴先輩!?」
 俺は一気に目が覚めて、ガバッと布団をめくり飛び起きる。
「随分元気そうだな」
 ベッド脇に、前柴先輩が大きな目を丸くして立っていた。
「嘘。どうして?」
 わけが分からなくて、俺が呟いた独り言に先輩は、
「別に、勝手に家の中に入ったわけじゃないからな。中井…… お前の兄貴に、弟がひとりきりで寝込んでて心配だから、様子を見てきて欲しいって」
 と、見覚えのあるストラップの付いた家の鍵を、俺の前に翳して見せてくれた。
 ストラップには、あるロックバンドのグループ名のロゴが刻まれていて、かける兄ちゃんはそのバンドの熱狂的なファンだ。
 今朝、かける兄ちゃんが玄関先からわたる兄ちゃんに、早く家を出るよう急かしていたのって、誰もいなくなった家に前柴先輩を来させるつもりだったからか。
 そういえば、昨夜熱に浮かされていた俺は兄ちゃんに、
「前柴先輩に叱られた」
 と、涙ながらに訴えたような気がする。

 かける兄ちゃん、あなたって人は。

 美しい兄弟愛に感動中の俺が、プルプルと震えながら何も言えずに黙っていると、先輩も黙ってペットボトルを差し出してくれる。
「あ、ありがとうございます」
 俺はお礼を言って受け取ると、中身を一気に飲み干した。
 先輩がくれたペットボトルのスポーツドリンクは、よく冷えていた。
「はぁ、美味しい」
 思わず顔が緩む。
 俺は昨日叱られたことも忘れて、彼に向かってにっこり笑いかけた。
 だけどそんな俺を突っ立ったまま見下ろしていた先輩は、目が合うとパッと顔を背ける。

 やっぱり昨日のこと、まだ怒ってるんだ。

 しょんぼりと項垂れてしまった俺に、前柴先輩が言った。
「お前、昨日の体育の授業の時も、身体の調子良くなかったんだろ。悪かったな、気がつかなくて」
「え?」
「それが言いたかった。熱も大したことなくて良かったな。俺、昼休みを抜けてきたから、もう学校に戻るわ。心配性の兄貴には、お前は元気だったって伝えておくから。じゃあな」
 それだけ一息に言うと、くるりと身を翻して部屋から出ていこうとする。
 俺は慌ててベッドから身を乗り出して、先輩の手首を掴んだ。
 勢い余ってズルッと布団から滑り落ちそうになったけど、カッコ悪いとか、そんなことにこだわってる場合じゃない。
 手首を掴まれた先輩は、驚いた顔をして振り返った。
「先輩、もう怒ってないんですか? ……あの、すみません。それならもうちょっと。もうちょっとだけ」
 俺は必死だった。
 先輩をこのまま行かせてはいけないような気がしたんだ。
 先輩の誤解を解かないといけない。
 俺の言った付き合ってくださいっていうのは、友達や後輩としてではなく、俗にいう男女間の交際の申し込みと同じ意味なのだということを、分かってもらわなくては。
 ただ、それを言葉でどう説明したらいいものか。
「えっと、あの、前柴先輩。だ、抱きしめてもいいですか?」
「はぁ?」
 途端に先輩の眉間に寄る、無数の皺。

 ああっ、かける兄ちゃん!
 兄ちゃんが折角作ってくれた、またとないチャンスだけど。
 どうやら俺は、前柴先輩に対して言わなければいけない言葉を、間違えてしまったようです……!



2010.12.24
改訂 2012.07.10


*更新が遅くて本当にすみませんm(__)m
そして、5話目はこのままここからの続きでいきます。手抜きじゃないのよ、ホントだよ




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