「ゆずる、本当にひとりで大丈夫? 僕今日、会社休んだっていいんだよ」 「大丈夫大丈夫、兄ちゃん大袈裟だよ。俺もう高校生だよ? 子供じゃないんだから、平気だって」 「またそんな強がりを言って。僕からしてみれば、ゆずるはまだれっきとした子供です」 平日の朝は、登校や出勤準備で家の中が忙しい。 俺は家族皆がバタバタと動き回る音を聞きながら、二階にある自分の部屋のベッドにゆったりと寝転がっていた。 熱があるから、今日は学校を休むんだ。 ゆずるが寝込むなんてと、部屋の入口に立ってこちらを涙目で見ているのは、我が家の長男、わたる兄ちゃんだ。 俺は、この六才離れた一番上の兄ちゃんに甘やかされて育った。 共働きの両親に代わって学生の頃から俺の面倒をみてくれた兄ちゃんは、今は大手自動車会社に勤めるサラリーマンだ。 「もう、いいからいいから。早く行きなよ。会社、遅刻するよ?」 「でも……」 「兄貴!」 ネクタイの先っちょを指先でクルクルと弄びながら、なかなか出掛けようとしないわたる兄ちゃんを、階下から呼ぶ大きな声がする。 次男のかける兄ちゃんだ。 かける兄ちゃんは、俺と同じ高校の三年生。 「兄貴ぃ、俺もう出掛けるぞ。玄関の鍵、開けてくからな。兄貴もすぐ出るだろ?」 「あ、はぁい、かける。いってらっしゃい、気をつけてね」 「おう、いってきまーす。兄貴も会社行けよ、早くしないと遅刻すんぞ!」 かける兄ちゃんの元気な声がして、玄関のドアの閉まる音がバタンと鳴り響いた。 「それじゃあ、僕も行くけど…… お粥を作ってコンロの上に置いてあるから、温めて食べるんだよ。ヨーグルトとプリンは、冷蔵庫の中だからね。それから薬は……」 「はいはい、分かってます。ほんと大丈夫だから。兄ちゃんいってらっしゃい、俺もう少し寝るよ」 まだいろいろ言いたそうなわたる兄ちゃんの言葉を遮って、俺は頭から布団を被る。 「うんそうだね、それがいい。何かあったらすぐ僕の携帯に電話するんだよ。飛んで帰ってくるから」 本当に飛んで帰ってきそうだな。 実際、昨日の午後から熱が出始めて具合が悪くなった俺を、わたる兄ちゃんは学校まで迎えに来てくれた。 クラス担任から連絡を受けた兄ちゃんが、仕事そっちのけで駆けつけてきたんだ。 慌てていた兄ちゃんは、 「ほ、保健室はどこですか!? 中井ゆずるが熱を出したって、ご連絡いただいたんですけどっ! 兄が迎えに参りました! ゆずるぅっ、僕が来たから、もう安心だよぅ!!」 と、学校中に響き渡る大声を出して廊下を走り回り、その時保健室のベッドに寝かされていた俺は、熱のせいではない別の嫌な汗を、タラリと流したんだ。 ああ、恥ずかしい。 でも本当のことを言うと、心の底ではほっとしていた。 今日はこれで先輩と一緒に帰らなくて済む、と。 |