*** 「まーた、眉間に皺寄せちゃって」 中井が言った。 昼休みが始まって間もなく、教室がザワザワと騒がしくなった時のことだ。 この中井はアイツのすぐ上の兄貴で、俺の親友。 アイツは昨日の午後から熱を出し、今日は学校を休んでいた。 「癖なんだから、仕方ないだろ」 「ゆずるはそう思ってないみたいだけどね。『前柴先輩に叱られたー』って、熱があるのに大泣きでさ。夕べは宥めるのに苦労しました」 「別に叱ったつもりはない。今アイツの話は聞きたくない」 「佐々木に言われたこと、まだ気にしてんの?」 この中井に隠し事はできない。 野球部の現役時代、俺はショートを守っていた。 イレギュラーで飛んできた球を捕球した後、崩れてしまった体勢から投げる俺の無理矢理なパスを、セカンドにいる中井は必ず受け取ってくれた。 ヒットを打って塁に出れば、次の打順の中井が必ず俺を、先の塁へと進めてくれた。 中井は俺が考えていることをわざわざ口に出さなくても、分かってくれる。 そして俺も、中井が何を考え次にどう動くのか、ある程度予測をつけることができた。 そこにはきっと友情の他に、信頼や絆と呼ぶべきものがある。 そんな仲だから、俺がこの中井の弟を好きだったことは、随分前からバレバレだったらしい。 「あのさー、斎。俺達がこうなるまでに、どれくらいの時間がかかったよ。授業も部活も一日中一緒で、三年だぞ、三年。ゆずるとお前が付き合い出して、まだ三日じゃん。俺にはお前達は付き合いたての、初々しいカップルに見えるけど」 「でも昨日、俺はアイツの体調が悪かったことに気づいてやれなかった」 「佐々木だって気づいてなかったんだろ? なあ、お前はもう野球部のキャプテンじゃないんだぞ。ましてやゆずるは、野球部員じゃない。部内の和を保とうとして言いたいことを我慢したり、生意気な一年に遠慮することなんて、ないと思うけど」 「だけど……」 「というわけで、ほら」 中井は俺の目の前に、ストラップの付いた鍵を翳す。 「俺んち今、ゆずるを看病する人が誰もいなくてさ。冷蔵庫に冷えたスポーツドリンクが入ってるから、それ飲ませてやって」 「はぁ? どうして俺が」 「まあ、あれだ。名前を呼んでやるところから始めてみれば? 二人っきりの時の方が、呼び易いだろ。何せ斎君は、超が付く程の恥ずかしがり屋だもんな」 「ばっ……!」 「うしししし」 顔が赤くなってしまったのを自覚しながら、俺は嫌な笑いをしている中井の手から、家の鍵をもぎ取った。 「分かった、スポーツドリンクを飲ませればいいんだな。ついでに体調が悪かったのに気がつかなかったこと、謝ってくる」 「うん。ゆずるはあんなだから、長い目でみてやってよ。お前好みの男に躾けるのは、これから少しずつな」 「スポーツドリンク、飲ませに行くだけだろ!」 俺は中井に言い返すと、教室を勢いよく飛び出した。 階段を一段飛ばしで駆け降りれば、片足がステップに着地する度に中井から預かった鍵が、ポケット中でチャリ、チャリと軽快な音を立てる。 リズムはそのまま、俺の心臓の鼓動の速さだ。 アイツの家に着くまでに、俺は何とか胸のドキドキを押さえようと、心の中でゆずる、ゆずる、ゆずると呪文のように唱えながら、通い慣れた道をただひたすら走った。 2011.01.20 改訂 2012.07.12 お題配布元 immorality様 「ヘタレ攻めから5のお願い」 *サイト内ページの移動に伴い、2014.06に全体を改訂いたしました。 |