*** 「追いかけなくて、いいんですか?」 佐々木が言った。 叱られた子供みたいに泣きべそをかいたアイツが、昇降口から外へ飛び出して行った時のことだ。 佐々木は可笑しそうに、グラウンドの方向に顔を向けている。 しかし俺はどうしてアイツが半泣きで走っていってしまったのか、理解できないでいた。 左利きの守備のコツをまだ教えていなかったが、足が速いアイツに今から追いつけるとも、到底思えない。 授業終了のチャイムが鳴ったと同時に教室から出てきた俺は、試合が終わり、自分の失策に肩を落としたアイツが昇降口に向かってトボトボと歩いてくるのを、辛抱強く待っていた。 整然と並んだ下駄箱の先にあるスライド式の鉄製扉は、大きく開け放たれていて、昇降口はいつも薄暗く肌寒い。 重い扉の向こう側には、太陽に照らされて明るく光るグラウンドが広がっている。 俺が立っている位置からは、歩いてくるアイツが丸見えだった。 反対に明るい場所にいるアイツからは、薄暗い昇降口の中は見え難いだろう。 俺がここに立っているのを知ったら、驚くだろうか。 フライのキャッチの仕方を教えてやれば、ありがとうと言って笑ってくれるかもしれない。 そう考えると期待に胸が大きく膨らんで、早く来い、早く来いと念じながらアイツを見ていた。 そうして待っている間にも、何人もの一年生がアイツの背中や腰に触りながら、ひと言声を掛けては通り過ぎていく。 アイツはそれにいちいち顔を上げて、笑顔で応えている。 今どき珍しい男ばかり三人兄弟の末っ子で、家族に可愛がられ甘やかされて育ったアイツは、がさつな所がなく控え目でおっとりした性格だ。 それでも構われれば、臆することなく誰にでも人懐こい笑顔を見せるから、まるで躾のよく行き届いた大型犬が、尻尾を振っているようだと言われて、生徒ばかりか教師からの受けもよかった。 スラリとした長身で、黙って立っていればそれなりにカッコよく見えるアイツが、上級生である俺と同学年の三年女子の間で、結構な人気があることも知っている。 そんなアイツがあの日、俺のことを好きだと言った。 確かにそう言ったのに、どうして誰彼構わず、平気で身体を触らせるんだろう。 本当に俺のことが好きなら、尻尾を振る相手は俺だけで充分ではないのか。 それとも俺が何か、勘違いをしているんだろうか。 |