「ね、あそこ。グラウンドにいるの、中井君の弟じゃない?」 後ろの席の女子が言った。 四時限目の、現国の授業の時のことだ。 「ホントだ、ゆずる君だ。何、ソフトボールやってるの? やーん、カッコいい」 と、これは俺の右斜め後ろの女子。 「でも彼、すごいお子ちゃまだって、誰かが言ってたよ」 「いやだ、そこがいいんじゃない、二つ年下なんだし。あたしの言うこと、はい、はいって、何でもきいてくれそうで」 ……随分勝手なことを言ってくれる。 アイツがそんなに扱い易い相手なら、誰もこんな苦労はしていない。 俺は黒板の文字をノートに写す手を一旦休めて、窓の外を眺めた。 俺の席は南の窓際の列の真ん中で、窓は外のグラウンドに面している。 気持ち下を覗き込むと、女子が言った通り、アイツがグローブを片手に立っている姿が見えた。 そういえば、今朝一緒に登校してくる途中で、今日はソフトボールの試合があると言っていたっけ。 そのまま暫く見ていると、バコーンと二階の俺の教室にまで響く大きな音がして、グラウンドが騒がしくなった。 「センター!」 「おう!」 掛け声と共に、アイツが立っていた位置から思い切り駆け出す。 相変わらず足が早い。 あの球の勢いならホームランだろうと思われた、大きなフライ球に軽々と追いついて、キャッチするために腕を高く上げる。 ところが目測を誤ったのか、ソフトボールの球はアイツのグローブすれすれを掠めるように飛び越え、少し先の地面に落下した。 転がっていく球を、呆然と眺めているアイツ。 「何やってんだ、アイツは」 つい、大きめの声が出た。 「前柴、どうした?」 俺の独り言を聞き咎めた先生に名指しで呼ばれ、慌てて前に向き直る。 「あ、いえ、何でも……」 返事をしたところで終業を告げるチャイムが鳴り、俺はガタンと音をさせて椅子から立ち上がると、驚いた顔をしている先生を無視して教室から飛び出した。 アイツは左利きなんだ。 だから、グローブを右利きの奴とは逆の手に嵌める。 それなら球を追いかける時の身体の向きも、右利きの人間とは逆を向かなければならない。 皆と同じ様に左肩を外側にして右方向に走れば、高く上がった球を見失って当たり前だ。 野球はやったことがないと言っていたアイツに、教えてやらなければ。 階段を小走りに降り昇降口へと向かいながら、俺はそればかりを考えていた。 |