「お前、付き合っている相手がいるだろう。彼氏持ちの男と寝て、後朝(きぬぎぬ)の余韻覚めやらぬうちに刺されるのはごめんだな」 小向野が冷めた声音で答えたのは、義光の誘いが本気でないと知っていたからだ。 突然でいささか強引な誘惑は、毎晩のように現れる目障りな小向野に対する、義光なりの腹いせだ。 オネエ系のゲイに異常にもてる小向野が義光と同じタチ役なのは、仲間うちでは周知の事実だった。それをいきなり逆になれというのも無茶な話だし、おおかた未成年者から「あんたを抱きたい」と迫られた小向野が戸惑い、慌てふためく様を見て笑ってやろう、という魂胆なのだろう。 だから冷たくあしらったのだが、小向野の返事を聞いた義光は怒りだすどころか、固くひきつらせていた相好を不意に崩した。 「へえ。あんた、教師って言ったよね。やっぱ頭の良い奴は断り方ひとつとっても、スマートっつーかカッコいいっつーか…… それとも年の功? 場慣れしてんのかな。そりゃあ、あいつらがギャーギャー騒ぐはずだわ」 「誰が年の功だ。俺はまだ四十前だ」 「食いつくの、そこ? くっくっくっ」 こりゃあいいね、と義光はおかしそうに肩を揺する。 義光が言うあいつらとは、エメラルドに出向く度に小向野の隣の席を取り合って派手な口喧嘩を始めるオネエ達のことだと、容易に見当はつく。 小向野が憮然とした表情のままでいると、義光が一歩近づいてきた。 「ちょっとマジであんたを口説いてみたくなった」 「なんだと?」 「安心してよ。俺今、付き合ってる奴いねえから」 そう言った義光を胡散臭そうに見返した小向野に、義光がまたくっくと喉を鳴らす。垂れた目尻に皺が寄った優しげな顔は、笑えば年相応に幼く見えるかとの期待を裏切る、小向野の心をざわつかせる艶やかなものだ。 そんな大の大人が手を焼く義光の「安心して」は、全く安心ならない。 内心のざわつきを振り払おうと目に力を込め、小向野は義光を睨みつけた。 「嘘をつけ」 「……あー、正確には、別れ話の最中」 小向野の目力には怯まず、義光はあっさりと白状する。 嘘をついたことに罪悪感を持っていないのが、目尻にそのまま残っている皺で確認できた。 「俺はきちんと別れたつもりでいるよ? けど相手が話の通じない鈍い奴でさ。今までの彼氏になく、すげーしつけーの。こっちはとっくに冷めてんのに『義光好みの男になるから』って泣かれたって、ただ鬱陶しいだけじゃん。髪は短い方がいいか、眼鏡はかけた方がいいかなんて、そんなの俺が知るか勝手にしろよ、って言ってんのに『服の好みは?』ってまだ訊くからさ。『明るい色でいいんじゃね』って、見当違いなこと言ってやったんだよ。そしたらあんな目がチッカチカするような趣味の悪いの着てきて、頼むから空気読めよ、いい加減察してくれよって感じ。そんなマヌケに『後朝の余韻』とか切り出しても『なにそれ、新しいバンドの名前?』って真顔で返されそうだし、俺は次に付き合う男はあんたみたいな……」 言い終わらぬうちに、小向野の張り手が飛んだ。 ※連載途中で止まっております。次のページは「お兄ちゃんと呼ばないで」になります |