花集ウ 34


 翌日の午後、川平が再び練習倉庫に現れた。
 倉庫の入り口に彼の姿が見えると、
「オッサン、来るのが早えーよ」
 給料日を2日後に控えた小笠原は川平に聞こえないようにひとりごち、仕方ねぇなと座っていたドラムスローンから立ち上がった。
 そしてエアコンの修理代の支払いはあとひと月待って欲しいと頼み込む為に、自分よりも背の低い川平の肩に腕を回し、そのまま倉庫の隅に引きずっていく。
「は、対バン?!」
 暫くすると、薄暗い倉庫の端っこで川平と頭を突き合わせるようにして話し込んでいた小笠原が、声を張り上げた。
 練習中だったところにドラムが抜けて演奏が止まり、手持ち無沙汰になっていた残りのメンバー3人は、何事かとふたりに目を向ける。
「……の、ようなものだよ。対バンの練習だと思ってくれてもいい」
 小笠原につられて大きくなった川平の声が、3人にも聞こえた。
「なあに、どうしたの?」
 これ以上待てなくなった高遠が、ふたりに声をかけてみる。
「タカ、このオッサンが、俺達に対バンしろって」
「オッサンじゃないでしょ、川平さんでしょ」
 またしても川平に失礼なことを言った小笠原の言葉を訂正してから、
「対バンって」
 と高遠も驚いた。


 対バンとは、バンドがライブを行う際に単独ではなく、複数のグループと共演する形式のことをいう。また、共演者自体を指すこともある。
 基本的にバンド同士のセッションは行わない。割り当てられた時間の中で舞台に立ち、自分達の演奏をするのだ。
 対バンする理由は色々だが、人気がいまひとつ上がらず単独では多くの集客が見込めない、そういうバンドが複数集まって客数を増やすことが、主な目的だ。
 ライブを興行するには会場を借りるなど、かなりの金額が掛かる。聴衆が集まらずチケットが売れなければ、掛かった費用は全額自腹だった。


「それって、どこかのライブにわたし達が呼んで貰えるってこと?」
 高遠の少し期待のこもった質問に、川平は慌てた。
「いや、そうじゃなくてね。僕んとこのお得意さんの家の息子さんが、今度“エメラルド”で演奏することになったんだよ」
「あら、それは良かったじゃないの」
 高遠は愛想よく答えたが、内心どうでもいい話だった。
 “エメラルド”は1日に複数のバンドが出演して順番に演奏するから、言ってみれば元々対バン形式だ。
 それに会場使用料も、電気代などの諸経費も取られない。
 川平電気の客が“エメラルド”で演奏しようがしまいが、お金を折半してライブしようという誘いでないなら、高遠達には関係の無いことだった。
「うん、それでね。“エメラルド”はほら、舞台が客席と対面じゃなくて円形だろ? その子がいつも使っている狭いスタジオじゃあ感覚が掴めないから、この倉庫で練習させて貰えないかと思ってさ。勿論、お前達も一緒に」
「何だ、そういうことか……」
 川平の隣で、小笠原がガックリと項垂れる。
 初めてライブに呼んで貰えるかもしれない。
 一瞬でもそう考えてしまいその期待が膨らめば膨らむ程、違うと分かった時の落胆は大きかった。
「でもさ、川平さん」
 要らぬ糠喜びに肩を落とした高遠と小笠原に代わって、冷静な亮太が言った。
「俺と晴はまだ中学生だから“エメラルド”で演奏できないんだよ。川平さんだって知ってンでしょ? 俺達と練習しても、意味無いと思うけど」
「亮太、アンタまで失礼なことを言わないで。川平さんにはお世話になったじゃないの。いいわよ川平さん、この倉庫は貸すわ。1日でいいのかしら?」




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