花集ウ 33

「川平さん、エアコン直った? 早くしてくんないと、うちの北欧生まれの王子様がくたばっちまうんだけど」
 彼が話しかけた相手は、何年か前この倉庫に無料でエアコンを取り付けてくれた、川平電気の店主だった。
 小笠原が暫く倉庫に棲みついていた間、最初から中古だったこのエアコンをフル稼働させていた為か、今年の夏に入って肝心の冷房が効かなくなってしまい、修理を頼んだのだ。
 川平は脚立の天辺に立ったまますっかり日焼けして赤黒くなった平たい顔を、エアコンではなく小笠原達4人に向けていた。大きな顔に辛うじて貼り付いている小さな目が、バンドメンバーを見下ろしている。
「お前達、ベースを入れる気なのか」
「あら、川平さんはうちにベースを入れるのには反対?」
 バンドメンバーがいつもおやつを買いに行く駅前商店街の中の行きつけの酒屋、武藤商店の隣に川平の電気屋はある。
 高遠が彼の意見を求めたのは、胸ポケットの上辺に黄色い糸で“川平電気”と刺繍された紺色の作業着を着ているこの中年男性が、先日の亮太の両親の説得に一役買ってくれたからだった。
 彼は武藤と同じく“エメラルド”の常連客だ。特に好きな音楽のジャンルにこだわりは無く、どちらかというとバンドを始めたばかりの発展途上の若者達の後押しがしたいという、インディーズバンドマニアである。
 高遠は亮太のことがあってから、世話になった川平や武藤のアドバイスを、バンド活動の中に積極的に取り入れるようになった。
 自分達の力でどうにかしようと意地を張り、一生懸命頑張ってみても上手くいかなかった物事が、多少悔しくても素直になり、大人の力を少し借りてみるだけですんなり解決することもあるのだと、学習したからだ。
「いや、そうじゃないよ高クン。反対も何も僕はバンドに関しては全くの素人だからね。今までそんな話をしていなかったのに、いきなりベースを入れるって言い出すから少し驚いただけさ」
 川平は商売人らしく人当たりの良い笑顔を、高遠に向けた。
「いきなりってわけじゃないのよ。前々から考えてはいたんだけど、今までそれどころじゃなかったっていうか」
「あのさー、んなこたぁどうでもいいからさ。なぁエアコン直ったの、直ってねぇの?」
 大人の意見など端から聞く気のない小笠原が、ふたりの会話に割って入る。
「ああ、ごめんごめん。これで大丈夫の筈だよ。どれ、電源を入れてみよう」
 川平がエアコンのリモコンスイッチを押すと、ウィーンという音と共にモーターが回り出し、吹き出し口から冷たい風が吹いてきた。
「晴チャン、直ったよ。そんな所にいないでこっちにおいで」
 平たい顔に冷風を浴び自分の仕事に満足気な表情を浮かべた川平は、脚立から降りると晴を呼んだ。
 立ち上がって歩いてくれば良いものを、晴はまたゴロゴロと倉庫の壁際からこちらに転がってくる。それを微笑ましく見守っていた川平が小笠原に言った。
「義光クン、修理代の請求書なんだけど……」
「えっ、金取るのかよ。サービスしてくれるんじゃねぇの」
 川平の言葉に驚いた小笠原が、ひっくり返っていたブルーシートから飛び起きた。
「何図々しいこと言ってんのよ。アンタが散々使って壊したんでしょ、修理代くらい払いなさいな。川平さん、請求書の宛名は義光にしておいて頂戴ね」
 先程から小笠原の川平に対する無礼極まりない態度が気に入らなかった高遠が、ピシャリと言った。
「だって俺、金持ってねぇもん」
「もうすぐ“エメラルド”のアルバイト代が入るでしょ」
「あれはスティックとシンバル買う金だ」
「仕方ないじゃない。今月は我慢なさいな」
「やだね。それにもう楽器屋に注文しちまった」
「アンタ、何勝手なことしてんのよ。バイト代はわたしの分と併せてその月の使い道を決めるって、約束したじゃないの」
「そんなこと言われたってさー、スティックの寿命がそろそろ尽きそうなんだもん。我慢なんてできるかよ」
「アンタはまたそうやって、いつもいつも……」
 川平の存在を忘れて言い合いを始めるふたり。これではまるで、稼ぎの悪い亭主と口煩い女房の夫婦喧嘩だ。
「はぁ、まーた始まった。川平さん、今日はもう帰った方がいいよ。請求書なら後で俺が、オガ先輩のポケットに突っ込んどいてあげるから」
 高遠と小笠原の毎度の言い争いにすっかり慣れた亮太が、涼しい顔をして川平に言った。
 再度小笠原に言いくるめられてエアコン代どころか修理費用まで払って貰えないかもしれないと、内心ドキドキしていた川平は、
「そう? じゃあ亮チャンの言葉に甘えてそうさせて貰おうかな。義光クン、毎度あり」
 高遠との争いに夢中で何も聞こえていない小笠原にそう呟くと、ホッと安堵の息を吐きながらそそくさと帰っていった。




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