花集ウ 32

 それは亮太と同級生である晴にも、高校2年になった高遠と小笠原にも、彼の両親からバンドメンバー全員に等しく出されたもので、勿論4人は一も二もなく条件を呑んだ。
 そのため倉庫に集まってすぐの午前中は楽器の練習はせず、亮太と晴はコンクリートの床にブルーシートを広げて寝転がり、今日の分と決めた夏休みの宿題を片付けているところだ。
 高遠と小笠原は高校では優等生として通っていて、彼らの家庭教師役を買って出ていた。
 ところが勉強を始めて30分も経たないうちに、それまでシートにうつ伏せになり大人しく鉛筆を動かしていた晴が、
「暑い、暑い」
 と騒ぎながら自分の体温で熱くなった床を避け、冷たい場所を求めてゴロゴロと転がり出した。
 デンマーク生まれの彼は、何もかも溶けてしまいそうな日本の蒸し暑さには滅法弱い。もっとも地球の北半球上に暮らす人間でこの茹だるような暑さに耐えられる強者など、そうはいないだろうが。
 晴と頭を突き合わせる格好で宿題をしていた亮太は、
「晴、動かないでよ。字が書けないじゃん」
 と最初は彼をたしなめていたのだがそのうち自分も気が散ってしまい、隣に座っていた高遠と小笠原相手に音楽談義に花を咲かせたというわけだ。
「晴の声が高いでしょ。ベースの低い音が合わさると絶妙のバランスが取れると思うンだよね」
 亮太はゴロゴロ転がっていく晴を見ながら言った。
 彼に邪魔者扱いされた晴はブルーシートから飛び出してそのまま倉庫の壁まで転がっていき、コンクリートの床のすぐ上、壁の最下部に設けられた小さな通気孔から入ってくる風に当たろうと外を向いた。
 ところが通気孔からは、アスファルトの道路に熱せられた外気が顔に吹き付けてくるのみで、晴がうんざりした恨めしげな表情を浮かべて自分を振り返ったので亮太は思わずプッと、吹き出す。
 そんな子供っぽいことをしている晴も変声期を過ぎたのか、普段の話し声は気持ち低くなった。しかし歌う時は女性と同じ高さのキーで歌う。それでも声自体が細いわけではなく声量はたっぷりあり、バラードを歌わせれば心にじわじわと染みてくるような声を出した。
 反対に大人社会を批判し自分の意見を主張する強気の歌詞の時は、声が枯れんばかりに叫ぶように歌い上げなかなかに迫力があった。
 ボーカルがこれだけ出来が良いと、亮太や小笠原の曲作りにも自然と力が入る。そして折角なら今よりもっと良い音作りをと欲張ってしまうのは、音楽馬鹿の悪い癖だろうか。
 キーボードから出るベースの低く単調なリズムを刻むだけの音では、亮太にはもう物足りなかった。
「キーボードじゃ限界があることくらい、わたしにだって分かってるわよ。でもね、うちは今までホント、ベースとは無縁で来たのよね」
 シートの上に行儀よく膝を折って座った高遠が、彼に言った。
「今まで1度もベースがいたこと無いの?」
「そうなのよ」
 ウーンと、考え込んでしまった亮太に横から小笠原が口を挟む。
「お前の知り合いで誰かベースが弾ける奴、いねぇのか。“ハーシーハーシー”の元メンとか」
 これには亮太は残念そうに答えた。
「俺“ハーシー”辞めてからメンバーの誰とも連絡取ってないもん。それにあの人とは年が違い過ぎてて、無理だよ」
「そうか。……そうだよなぁ」
 “ハーシーハーシー”のリーダーだった智也が生きていれば、今年22才になる。確かベースも同い年だった筈だ。
 ボーカルとギターがまだ中学生でしかも名前さえ決まっていないバンドなど、解散したとはいえ一時は“エメラルド”で人気のあったバンドのベーシストに相手にして貰えるとは、考え難い。
「一難去ってまた一難か。あーあ、どっかにベース、転がってねぇかな」
 小笠原はそう都合の良いことをぼやきながら、胡座をかいたままゴロンと後ろにひっくり返った。
 すると逆さまになった彼の視界に、脚立に上った中年男性の姿が入った。
 そうだった、先にこっちの一難を片付けてしまわなければ。




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