花集ウ 30

 自分が褒められているのかけなされているのか分からない亮太は、高遠の言葉を黙って聞いている。
「それにアンタが、お兄さんを失くした親御さんを気遣う、優しい子だってことも分かったし。ハルの友達にしろうちのギタリストにしろ、アンタなら大歓迎だわ。亮太、これからよろしくお願いね。親御さんの説得には、わたしも協力させて貰うから」
「……っ! はい、よろしくお願いします!」
 高遠に頭を下げ、元気良く挨拶した亮太を見た晴が、不思議そうな声を上げた。
「リョウ、ここでギター弾くのか?」
「そうよ、ハル。アンタはどう? 亮太の隣で歌ってみたくない?」
 高遠の口調は亮太に対するのとは違い、晴には遥かに優しいものに変わる。
 晴は高遠にとって、この世で血が繋がった、たった三人の肉親のうちのひとりだ。
 日本にやって来た時、言葉が不自由で、日常生活もひとりではまともに送ることができなかった晴と一緒に暮らしていた彼は、いまだに晴を小さな子供扱いする癖が抜けないのだった。
「俺が? ……あれ、渡辺先輩と井上先輩は?」
 今更ながら練習倉庫の中を見回して、ふたりがいなくなっていることに気づいた晴に高遠は、
「アンタ達がおやつを買いに行ってる間に辞めてったわよ。誰かさんのお陰でね」
 嫌味っぽく小笠原をチラ、と見た。
 見られた方の小笠原は、白々しく言う。
「あれ、あのふたり辞めちまったの? そうか、そんじゃ仕方無いよな。そういうわけだから晴、俺達のバンドで歌ってくれよ」
「先輩達、困ってる?」
 晴は無邪気に訊いた。
「ああ、困ってる。ボーカルがいないんじゃ、バンドは成り立たないからな。晴、頼む。歌ってくれ」
「分かった。じゃあ俺、歌うよ」
 自分に向かって拝むように手を合わせた小笠原に、晴はやけにあっさりと頷いた。
 そんな晴を見て、高遠の脳裏に一抹の思いが過ったのだが。
 それは疑問か、不安か……
 何れにせよ、それほど大袈裟なものではなく、晴に真意を確かめようと高遠が口を開く前に、小笠原から振られた会話の方に気を取られ、忽ち頭から消え去ってしまうような、そんなちっぽけな思いではあった。
「―― な、タカ」
「え?」
「何だよ、聞いてなかったのか。智也さんの恋人の名前が五十貝優太だって、よく覚えてたなって、折角褒めてやったのに」
「え? ……ああ、それね」
「お前が優太の名前を出さなけりゃ、こいつがエレキの名手だってことも知らずに、あのまま帰すとこだったじゃねぇか」
 高遠は、小笠原にこいつ呼ばわりされた亮太をジッと見つめた。
 高遠のギョロリとした目に射抜かれ、背中にゾクゾクと嫌なものが走った亮太は、人間の食料になる前に、無駄だと分かっていても一応の抵抗を試みるであろうブロイラーのように、高遠にくるりと背を向けて、逃げ出す一歩を踏み出したところだ。
 背中を向けたためにがら空きになった亮太の制服の襟首を、会った時と同じように再び後ろから摘まみ上げて、高遠は言った。
「そりゃ、そうよ。わたしの初恋の殿方を横からまんまと奪い去っていった、憎い男の名前だもの。忘れようったって忘れられないわ。この子に会えたのは、智也さんのお導きかもしれないわね。五十貝優太の弟、いえ亮太。アンタだけは逃がさないわよ」
 智也に対して報われない想いを抱いていた、切ない日々を思い出したのだろうか。
 レースのハンカチで涙をそっと拭う高遠の顔が、ずいと間近に迫った亮太は青ざめ、コケッ…… 違った。ヒッと、喉の奥を引きつらせたのであった。




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あきゅろす。
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