花集ウ 12

 こうなっては高遠も、いよいよ黙って見ているばかりではいられない。
 小笠原のあまりの狼藉振りに眉間に深い皺を寄せていた高遠は、真冬でも履いている愛用のサンダルを黙って脱ぎ、右手にしっかり握り締めると、がら空きだったエロ魔人の後頭部めがけて一撃を食らわした。
 我ながら誉めてやりたいほどの、渾身のひと振りであった。
「つっ!……」
 声にならない声を上げ、頭を抱えてハルの身体から離れた小笠原を見下ろして、高遠は冷ややかに言い放つ。
「これだから、アンタにハルを会わせたくなかったのよ。今度いやらしい真似をしてみなさいな、タダでは済まさないわよ。いい義光、よく聞いて。この子の名前は高遠晴(タカトオ ハル)。性別は男。年はわたし達より二つ下の十三才。わたしとは血が繋がった、歴とした高遠家の大事な子供よ」


****


 それから十ヵ月後の、秋の終わり。
 高遠と小笠原はT高の一年生、晴はS中の二年生になっていた。
 日本に帰ってきて暫くの間、高遠の家に世話になっていた晴は、現在は通っている中学から程近いS駅近くの中古の一軒家に、母親と二人で移り住んでいる。
 ただし、平日の放課後と土日―― つまり、学校に行っているか寝ている時以外は、今まで通り高遠の家と、練習倉庫で過ごす日々を送っていた。
 晴の母親は日本に帰ってきてからも、仕事の都合で家を空けることが多かった。
 そのため高遠と小笠原と晴の三人は、練習倉庫の向かいにあるレストランの従業員用休憩室で、コックの泉が作る賄い食を食べることが、いつの間にかの習慣になっていた。
 泉は良く気が回る上に物腰が柔らかく、控え目な人柄だ。
 彼ら三人が従業員出入り口から入ってくるのを、いつも笑顔で迎えてくれた。
 そんな泉だったから、“エメラルド”のオーナーにもコック長にも、従業員や店のお客様にも気に入られ、この短期間のうちに数多くいるコック達の中で、チーフと呼ばれるまでに出世していた。
 高遠は元々父親と二人暮らし。小笠原は、自分の携帯電話に弟か妹からの呼び出しがあると、彼らに会いに自宅に帰るが、小笠原の分の食事は用意されていないらしく夕食時にはレストランへ戻ってきて、三人は必ず一緒の食卓を囲んだ。
 まだ成長期真っ盛りのボーイズを気遣い泉が用意する賄い食は、栄養満点で愛情のこもった家庭料理そのものであったので、それを食べて三人はすくすくと成長した。
 といっても実際に身体が大きくなったのは晴だけで、高遠と小笠原は元から大きかったのだが、要は気持ちの問題である。
 十四才になった晴は身長が伸びただけでなく、小笠原の特訓の成果が実り日本の男言葉を覚え、学校の勉強も少しずつではあるが、理解できるようになっていた。
 ただ声変わりの済んでいない晴は中学校の学ランを着ていないと、相変わらず男なのか女なのか区別がつかない可愛らしい姿のままだ。
 今も練習倉庫の隅に置いてある事務机に頬杖をついて座り、高遠達のバンド練習に耳を傾けている晴に、思春期真っ只中のむさ苦しい男子達の熱い視線が集中していた。
 しかし当の本人は他人から見られることには既にもう慣れっこで、不躾な視線でもあまり気にならないらしい。
 晴はその綺麗な外見とは裏腹にとても人懐こく、分け隔てなく誰とでも接するから、高校に入って高遠と小笠原が集めた新しいバンドメンバーともすぐに仲良くなった。
 練習中の彼らと目が合うと、熱い視線に込められている意味が分からない晴は、彼らににこりと笑いかける。
 すると相手は必ず顔を赤くして、そこで歌なりギターなりの演奏が止まってしまうのが常だった。
 実は例によって小笠原のいびりにあい、今春から数えてギターは二人、ボーカルに至っては三人メンバーが入れ替わっている。
 その誰もが晴を見ると同じ反応を示すものだから、バンド練習はなかなかにしてはかどらない。
 晴に笑顔を向けられてびくともしないのは、今のところ高遠と小笠原だけであった。




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あきゅろす。
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